我が家のダメ英才教育~しりとりで真剣勝負~
テレビで「天才の育て方教えます」なんていうのをやっていて、6歳の女の子が、卓球天才少女として紹介されていた。
「天才なんて、育てるものではないと思うけど」娘がいう。「だよな。天才は天才であって、凡人を天才にするというもんじゃないよな」と息子。「まあ、英才教育っていうやつよね。大体こういう子は、そういう環境があるからこそ、早くから才能を見出されるんだろうし」と、私が言ったとおり、この子も「卓球一家」に生まれ、物心つく頃から卓球三昧。教育方針として「負けたら、泣かせる」というのがあった。幼い子といえども容赦なく卓球で叩きのめす。子どもだからといって、わざと負けて「あ~○○ちゃんはすごいなあ」なんていうご機嫌とりをしないのだ。
そこへ来て、うちも思い出すことがあった。「…なんか、うちみたいだ」「あ…」
子どもが、小さかった頃のことだ。電車に乗ってお出かけする時、暇つぶしによく「しりとり」をすることがあった。最初こそ、普通に遊んでやっていたのだが、息子が幼稚園くらい、そこそこ強くなり、またこちらもいいかげん飽きてきたころ、私は、自分の番で同じ音でとめるようになったのである。何度も「り」で終わる言葉などを投げられ、徐々に息子は、「ママずるい!おんなじのばっかり…」と怒りだし、負けそうになると泣き出しもした。が、私は「こっちも同じ音で終わる言葉を捜し続けてるんだから、真剣勝負。悔しかったら、いっぱい言葉を覚えて、やり返しなさい」
「ああ、ダメ英才教育だったね、あれはw」
息子が懐かしそうに振り返る。結局、息子は猛烈に語彙を増やし、こちらを負かすほどになった。逆に、こちらが「か責め」「る責め」などにはめられることも多くなった。
もちろん、同級生などとしりとりをしても、他の子はまったく歯が立たなかったらしい。一度一緒に遊んだ子は、絶対に息子の次の番になろうとしなかったし、たまに同じように責め返そうという子がいても、簡単に返り討ちにあうのがわかって、やがて息子はしりとりの輪からはずされてしまった。たまにやる時は、息子のことを知らない子が入るときだそうだ。
そういえば、テレビゲームも3歳くらいの頃は正直下手で、見ていていらいらしたこちらが手を出してしまったのが、私のゲーム人生の始まりだったのだが、パズルゲーム対戦などでも、私は容赦しなかった気がする。息子は泣いていたが、やがて異常にゲームが強いと近所で評判になるほどになった。これもダメ英才教育か。
しかし、同じように容赦なく遊んでやったと思った娘だが、小さな頃から口が達者で、「ふつう、ちいさいこにはてかげんするものでしょーーーっ!?」と怒り出し、そのままぷいっと投げ出すことが多かった。そのせいか、息子のような成長は見られない。やはり、持って生まれた才能なども、関わってくるのだろう。息子は、しりとりやテレビゲームに、適性と情熱を持っていたが、娘はどちらも「ひまつぶし」と割り切っている、という面もある。
スポーツなどの英才教育は、いずれはその道で花を咲かせることがあるだろうが、しりとりやテレビゲームは、花咲く場面も少ないし、咲いたところでどこか微妙。だから「ダメ英才教育」。なにやってたんだ、私…。
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「絶望先生第5集」の巻末読者投稿コーナーに「ふとうこう」コーナーができていた。不「登校」者が、「投稿」、というコーナーだが、本当にこれから増える予感。息子も投稿したりして…
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