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2006年10月27日 (金)

臨床心理士さんに聞いてみました~息子も私も、やっぱりアスペですか~

今日は、臨床心理士さんに息子のことを相談する機会を得た。

息子もその人と話をしていて、前にも書いた自閉症とアスペの小冊子を見て、親子で大笑いした話をしたらしい。「もしも親がこれを見てさめざめと泣いたりしたら、俺、親を殺していたかもしれない。けど、一緒になって笑ってくれた」という感想付で。これには恐縮したり、息子を見直したり。まあ、私自身にも覚えのあることばかりだから笑えたということもあったのだけど。

心理士さんの目から見ても、たしかに息子はそういう傾向があるように思う、ということだった。私も知らないエピソードがあった。

学校でバスケットなどをやるとする。息子は、敵味方の区別がまったくできず、時に味方のパスをカットしてしまうなどしてしまうという。

それが、小学校のことか中学校のことか、部活か体育の授業なのかは不明だが、息子は小学校のころ、ちょこまかとすばしっこく動き、得意のジャンプ力でシュートも決められると、バスケが得意だと言っていた。が、中学に入ってバスケ部に入り、それからおかしくなったのだ。

実は、私にもものすごく覚えがある。私は運動音痴なのであるが、体育の授業でやるドリブルシュートなどは得意だった。一人でやる分にはいいのだ。だが、練習試合になるともうさっぱりついていけない。やはり敵味方の区別がつかないし、ボールを追うことができない。自分なりに真剣なのに「何ふざけてんの」といわれるばかりで、今でも球技という球技の存在を憎んでいるくらいだw

これも、アスペの傾向なのだそうだ。人の認識が瞬時にできない、ボールなどを普通に追えない…そのために、変人呼ばわりされる。いや、たしかに変人なのだが。
息子は、幼稚園から10年も同じクラスである子を知らなかった。私は、1年かかっても、やはりクラスメイトを覚えられなかった。なんとか覚えた…と思っても、ちょっと席替えしただけで混乱するのだ。無関心なのではない。むしろ、一生懸命覚えようと思っている。が、さっぱりまともに認識できない。一度、友達のお兄さんを紹介されたとき、しっかり覚えようとがんばった。すると、「兄が、あなたににらまれたって…」と言われた。クラスができたときに、顔写真と名前の一覧表でもあれば覚えられるのに…と思ったが、それができるころは、卒業アルバムをもらう頃だ。意味が無い。秋頃になっても名札がないと「え~っと、どちらさま?」という状態では相手に悪いので、歩くときには伏目がち、なるべく人と目線を合わせないようになってくる。教科書は、さらっと読むだけで頭に入り、当時は皆がうらやむほどの…いや、憎まれるほど学業の成績がよいのに、級友とは目も合わせられない。

私はそんな子供として育ってきたが、まったくこれほどいやな人間があるだろうか。

嫌われ、蔑まれ、理解されず孤立する。私のようなタイプは、せめて何かで「天才」とでも賞賛されるようなところがあればよいのだが、しょせん中途半端な能力しかなく、典型的な「20過ぎればただの人」、いやそれ以下になり、「アスペ負け組」になったのだと思う。

息子も、まったく同じ悩みを抱えていた。私はこの子を産んで顔を見たとき、瞬時に「この子は、同類だ!」と感じたのだが、やはりそうだったのか…

彼もまた、冷静に「周囲とは異質な自分」を解析し、苦悩し、主張していたわけだ。それが時には不登校に、時には家庭内暴力にと、表現されていたわけだ。

「先輩」として言わせてもらえば、昔「アスペルガー症候群」などという言葉も無く、「自閉症」という言葉も独り歩きして正しい理解が得られなかった時代だって、同じタイプの人はごまんと存在し、ある人は苦悩の天才として名を残し、ある人は人生を狂わせて犯罪者などとして終える。両極端の人生が多いのだが、それほどでもなく、なんとか社会と折り合って生きている人もたくさんいるはずだ。

今のように、不登校の子の声に耳を傾け、社会問題として救おうという時代に生まれて、息子はまだ恵まれているといえる。

むしろ、そんな状態だから、社会に立ち向かうエネルギーがそがれるのだろうか?

とにかく、私たちは「自分たちの正体」について、遅ればせながら一歩、踏み込み始めたのだ。

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