高野文子さん5年ぶりの漫画~久々の慈雨~
20日発行されたアエラムック「ニッポンのマンガ~手塚治虫文化賞10周年記念」(朝日新聞社)で、高野文子さんが第7回受賞作「黄色い本」以来5年ぶりの漫画作品を発表した。
「黄色い本」には、実は私も投票させていただいたのだ。正直、本当に賞に輝かれるとは思っていなかったのだけど、「今投票しなくては、このすごい人が無冠で終わってしまうかもしれない」という一心で(苦笑)。何せ、あの「黄色い本」が、7年ぶりの作品という寡作で知られる人だ。そして、熱狂的なファンが多い(それも、一般よりは、漫画家など業界人に多いように思う)にも関わらず、皆作品を待望しながらも、急かすようなことを考えていない。天から恵みの雨が降るのを、ただ待つ。日々畑を耕しながら、欲を持たず、心を清らかにして待つだけなのだ。
まさに、「神」の域にある。
アエラムックにはご本人のお顔も掲載されているが、ふふふふ~~~、自慢してしまうが、私は「黄色い本」発行時に、サイン会でそのご尊顔を拝しているのだ。「どんな方だろう」とわくわくしながらファンの前に現れた高野さんは、小柄で、なんの飾り気もないけれど、たしかにあの「玄関」や「春ノ波止場ニウマレタ鳥ハ」や「「棒がいっぽん」の、あの人なのだ、という雰囲気があった。そのサイン会では、ファン一人ひとりの名前とイラストを描き入れ、丁寧に握手してくださった。私は最初のほうにいただけたのだが、サイン会は何時間にも及び、ファンはじっと待ち、また高野さんも疲れも見せず誠実に、ゆっくりと接しておられた。ただならぬ、「只の人」という印象も持った。
「次は何年後になるのかしら」
ガラスの仮面や、アルカサルや、天上の虹は、早く描いてくれないと!と焦るのに、高野さんの場合はただ待つだけだ。また、どんな作品でも、かまわない。「高野さんが、今描きたいと思うものを、描いてくだされば、私は幸せです」なのだ。作品を読んで語りたいこともたくさんあるのに、なぜか私は言葉を失ってしまう。
5年ぶりの作品「おりがみでツルを折ろう」に加え、なんとペーパークラフトの本も出されていると知った。「描かない人」と思うと突然思わぬところに現れたり、小説の絵を描いておられたり、寡作というだけでなく、神出鬼没な方だ。また、これに驚いていてはいけないのだと思う。空に浮かぶ雲のように、日々同じ形であるわけではない作家なのだから…
~慌てて、「火打ち箱」を買いに走る私。
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