娘のブログに「心の闇」を発見!~一億総ブログ時代~
このブログは、子供たちも見ているらしい。特に隠してはいないし、見られて困るようなことも書いていない。また、自分がネタにされているのを知りながらも、二人とも文句を言ってこない。
で、最近娘も「自分のブログを作りたい!」と言い出し、作ってしまった。一応、私が見ようと思えば見られる状態にしておく、という条件で、ブログの名前を言わせた。いちいちチェックするほどヒマでも過保護でもないが、ネットの怖さを知らない小学生を、放任するわけにはいかないからだ。
「大丈夫だよ~個人情報とか、書かないよ~」と娘。内容はほとんど彼女の雑記。友達もブログを作ったらしく、交流を楽しんでいるようだ。しばらくは私も何も言わないし、たいして見もしなかったが、この間見たら、ちょっとひっかかってきた。
ひとつは、愚痴が過ぎるということ。気持ちはわかるが、マイナスの感情はさらにマイナスを産む。自分も、読む友人もどんどん負の方向に向かう恐れがある。
さらに、とうとう「個人名」を出した。「誰も見てないから大丈夫だよね」などと書いているが、友人に教えているブログで、おそらく共通の知人である人を、苗字だけとはいえあげて悪口を書くのは危険だ。仲間内の交換日記だって、誰かがばらしたり見られたりしてトラブルの元になるのに、ブログは、誰が見てもおかしくないのだ。いざ、騒ぎになって慌てて記事を消したりしても、キャッシュが残るし、誰かが保存でもすれば…!個人名をうっかり出して問題になると、自分が逃れられないだけでなく、その人に多大な迷惑がかかる。絶対にやっちゃいけない、ということをやっている。これは、さすがに注意した。
しかし、娘はブログで、いろいろな悩みを打ち明けていた。これは、リアルでも相談されていたが、「明るく元気でみんなの人気者」と私が思っていた娘にもいろいろあるのだと知ることとなった。
また娘は「詩を書きました」と、それを披露していた。
テーマは、自分の中の「憎悪」だった。
自分の心の中の「染み」が広がっていくさまを、娘にしては豊かな表現力で描写している。それは相手への殺意に向かい、そして「自分の人生も終わらせよう」という絶望的な結末に結び付けていた。
私は、ここで娘の「心の闇」を発見できたことに感謝した。
やたら手のかかる息子に忙殺される一方、手のかからない、自分の子とは思えないくらい賢く世渡りのうまい子と思っていた娘だが、それではいけない。誰だって、悩むことはある。負の感情に押し殺されそうなことだってあるのだ。娘もまた、例外ではなく、あえて親の私も見ている可能性があるブログで、この詩を書いてくれた。おそらく学校の課題では書けないだろうし、明るい笑顔の影で大きくなっていく負の感情を、どうしていいかわからず、何かと私に相談したり、ここに書いて表現できたのだ。
あまり有能とはいえない親ではあるが、2人ともいろいろと心の奥底を見せてくれる。これだけは、誇っていいのではないだろうか。子どものことを何も知らないまま、取り返しのつかない凶行に走らせてしまう親だっている。うちの子たちは、いろいろSOSを出してくれている。これに、ゆっくり答えてあげるくらいは、私だってできるだろう。
娘よ、書いてくれてありがとう。
人生、いろいろあるけれど、明けない夜はないんだからね。君は一人じゃないんだから、ゆったりと構えていていいんだからね。
ママの悪口を書いてることも不問にするからね。
それにしても、「ブログ」は、新しい家族のコミュニケーションを創り出す可能性があるのだなと思う。もしかしたら
親「あんた、ブログで読んだけど、学校に行きたくないとか思ってるわけ?」
子「ママこそ、ブログで読んだけど風邪ひいて薬で大変だったんだって?」
なんて、ブログで家族の近況を知る時代が来ているのかもしれない。
| 固定リンク
コメント