自殺の美化はいけません~あえて死者に鞭打つ報道があってもいいのではないか
また、校長の自殺があったらしい。おそらく高校の履修不足に絡んでのことだと報じられている。相次ぐいじめ被害者の自殺に、教育者の自殺。最悪の自殺スパイラルに陥ってしまった。
まだ未熟な少年少女が、自暴自棄になって命を絶つような行為をしてしまうのは、まだ理解できる。死というものの現実を知らず、また死ぬことでしか自己表現できない若者が多いのも問題があるが、本人の苦悩、またご遺族の苦しみを考えると、つい報道も被害者寄りになり、きついことは言えない。
が、この件で、学校の責任者であり、誰よりも事情を知るはずの校長が自ら命を絶つことによって清算しようとするのは、あまりにも的外れだとしかいいようがない。
校長が自殺して、誰が喜ぶのか。
生徒たちは、果たしてトクをするのか。
私の友人の高校の校長も昔自殺し、大きく報道された。大変なことだった。その友人、以来まったく音信不通になってしまった。当時在学中でデビューの近かった某アイドルを応援してやってと、ちょっと前まで電話が来たのに、そのアイドルは事件後デビュー。「生まれも育ちも東京、東京の私立高校在学中」のアイドルとして。「校内暴力に悩んだ校長が自殺」と大きく名の報じられたその学校は、しばらく何かと敬遠される傾向にあった。そこの卒業生が、果たして就職や進学で、有利になっただろうか。あの、「校長を死なせた学校の出身者」として。
最初に自殺した校長は、自分の死に報いて、生徒たちをよくしてくれるよう頼む遺書を書いていたようだが、これを美談にしてはいけない。やらなければいけない教科を受けていないで受験勉強にいそしんだ生徒を、校長が死んだから、まあ帳消しにしましょ、と優遇するわけにはいかないだろう。腹を切れば何もかも許される武家社会は、とうに終わっている。
今この問題で責任ある人がしなければいけないことは、どんなそしりを受けようとも、泥はすべて自分がかぶり、生徒たちがきちんと卒業できるよう尽力することではないのか。そうして初めて、生徒思いの先生と言える。受験間際の多感な生徒たちに「自分たちのために校長先生が首をつった」という心の傷をつけ、生徒も妻子もマスコミの好奇の目にさらし、一体何のための犠牲なのか。死んでる場合ではないだろう。誰よりも、命の大切さ、生きることの意味を教えなくてはいけない立場の人が。
文部科学大臣宛に、自殺をほのめかす手紙もあったようだが、これもあまり騒ぐのは良くないと思う。また、差出人の特定に躍起になることよりもすることがあると思う。
同じような思いをしている子は、全国に大勢いる。差出人は、これを代弁したということだ。どこの消印の、どの子かなんて、どうでもいい。探すなら、全国のすべての学校で、同じ子たちを探せばいい。こんな脅迫まがいなことをした子だけが、話を聞いてもらえると思わせてはいけない。
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