お出かけの時の珍現象~ところで10円拾ったら、どうしますか~
今日は娘と、上野・科学博物館の「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」、そしてアメ横を堪能しに出かけた。
それは後述するとして、今日不思議な体験をした。
私と娘は、自転車で駅に向かった。私は駅前駐輪場を月極めでとっているが、娘は100円かかる。
で、私は娘に100円渡し、自分の自転車においた。が、娘が珍しく戸惑っている。
臨時駐輪をするには、100円玉を通路の入金口に入れなければ、自転車とともに入場することができない。が、後ろに待っている人がいるのにもそもそしている。やっと入ってきて言うには
「なんかね、100円入れると10円出てきたの」
謎だ。あまりここで10円入れて放置するという状態が想像できないのだが、とにかく入金機に10円入っていたらしい。100円入れてそのまま通ろうとしたら、明らかに自分のものでない10円を見て、戸惑ったのだという。
10円でも、お金はお金。
子供たちが小さい頃、お金を拾った時、私は必ず交番に子供を連れて行き、届けるようにしていた。これは、モラル教育のつもりだった。お金を拾ったら、ネコババせずに届けましょう。正直は美徳。別に見返りを期待してはいけないけど、きっといいことがありますよ…
正直、10円玉だの1000円札だのを「僕ちゃんが拾いました~」なんて届けるのは、交番のおまわりさんにとっては面倒に違いない。が、どおまわりさんもこんな子供連れには丁寧に受け付けてくださり、拾って正直に届けた幼児をねぎらって下さった。子供は、社会が育てるもの。この時代、まだまだそう信じられた。
まあ、うちの息子に限っては、今ひとつその効果が得られなかったようではあるがorz
しかし、それでも大人はここで「ラッキー♪」などと言ってはいけないだろう。が、もはや大人並みの体格の娘に、「おまわりさんにとどけましょうね」というのも、ちょっと痛い。小額を届けても、わずらわしいだけであろうから。
この、天の小銭は、天に返すべきだろう、と、自己流の解釈をして、駅前のコンビニに設置している募金箱に、その10円玉を入れさせた。アジアやアフリカの子供たちを救う募金。正直、交番に届けて半年後受け取るとか、そのまま国庫に入れるとかよりも、ずっと活かしてもらえるだろう。
さて駅に急ぐ。上野までの子供運賃を計算させ、小銭を渡した。もちろん、ちゃんとお釣りも合って、ほめてやるつもりだった。娘は幼い頃から暗算(現金限定)が得意で、ちゃんと、正解を口にしていた。私もそれを確信しながらの行動である。計算上、30円がつり銭として出てくるはずだ。
が、娘がまた、悩んでいる。「お釣りが50円出てきた…orz」
なんなんだ、今日は。10円玉が2枚出てくるはずなのに、50円玉がころりと出てきたというのだ。「ラッキー♪」ではない。これは私にもまったく想像がつかないし、電車はせまる。
ちょっと本題からはずれるかもしれないが、どんなに小額でも自分のものでないお金は、しかるべき手続きをとり、もしも落とし主が見つからないなら受け取る。これが絶対だと思う。以前テレビ番組でやっていた恐ろしい話だが、とある看護師Aさんが、スタッフのロッカールームに千円札が落ちているのを拾い、「ラッキー♪」といただいというエピソードを紹介していた。ところが(当たり前だと思うが)落とし主が「千円消えた!」と騒ぎ出した。これはまずい…と思った投稿者はその人に電話を入れ、「1000円拾いました。明日お返ししますね♪」と連絡。先方も納得してくれ、万事解決…と思ったら、相手は即刻窃盗犯としてAさんを告訴。警察は来る、逮捕される、近隣で起きた窃盗事件も全部かぶせられ、今の職場も追放、さらに苦労してとった看護師免許も剥奪。 たった千円で、人生を棒に振った…ということだ。気の毒だが、でも、ことお金に関してルーズな人が信頼を得られるはずがない。「たった●●円」といえども、「で、自分のものだと思っちゃう人なんだ」と思われたら、終わる人生もある。これが道徳に厳しい日本人クオリティ。
しかしこんな事態は、私も想定外だ。自分でも理解しがたいものを、どう駅員さんに説明するのか。前の人が、お釣りを忘れていたのなら、10円玉が3枚転がっており、そこに私たちのつり銭20円が混じり、10円玉が5枚転がっているはずだ。しかし、娘の手には銀色に輝く50円玉がある。「うち、いくらもらったっけ…」もしかして、50円のお釣りをもらうように母はプラス20円つけてくれたんじゃないか…などと、娘は悩んでいる。いやいや、私もしっかり覚えている。絶対、私は10円玉3枚お釣りが来る額を渡した。ていうか、それしかなかった。なんで増えるんだ????
しかし、電車の時間は迫っている。とにかく走り、乗るしかない。
が、そのままネコババするわけにもいかない。宙ぶらりんの、20円。私も娘も、なんとなく、落ち着かない。
博物館(新館と特別展示)を楽しみ、出ようとした私たちだが、12月21日から始まったというシアター360の前に、そのシアター存続のための募金箱が備えられていた。「ここにさっきの20円、入れなさいよ」と言ったのは、娘のほうである。私はこの科学博物館を子供の頃から愛し、賢い日本人の少年少女がここを基点に科学への関心を持ち、探求してくれることにまったく異論がないし、何より明らかに自分のものでない20円が重くて仕方がなかったので、ここに投入した。身も心も軽くなり、よかった。シアターは、見損ねたけど。
が、厳密にいえば、この善意と苦悩に満ちた行動もまた、法律違反なのである。私は今、これでブログが炎上でもしたらどうしようかとびくびくしながら書いている。でも正直、子供にはモラルを身に着けてほしいと思いながら、街で拾った小銭をどうするか、またどう教えるかで悩んでいる。
これまで私が千円以下のお金を拾って届けて、喜ばれたことはあまり、ない。この本屋さんのレジ前で1000円拾ったのは、四半世紀前だったか。素直にレジに「落ちてましたよ」というと、「うちでは扱えないので、交番に届けて」ということだった。交番も迷惑そうだった。このケースで労せず1000円をもらえ、「正直でよかった」と思えたのは奇跡に近い。
で、一応教育した子供たちだが、親と同じ背丈にもなって「10円拾ったから、おまわりさんに届けよう」と言うのも、微妙だ。それは結構迷惑だろう。ここは臨機応変、「どうにも落とし主が確定できそうになかったら、いっそ募金でもしてしまえ」だ。
私は私なりの正義感でそう指導したが、結局うちは「間違いだらけの育児日記」なのでどうにもいえないのが、実情というものだ。
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