我が家的天才って~手塚治虫のすごさは平成生まれにもわかる~
テレビで「日本人の好きな天才」などという番組をやっていた。
不登校で引きこもりで受験生でありながら、進路の心配よりもテレビやネットゲームの心配ばかりしている息子も、これにはちょっと興味を示した。
「この人は誰でしょう?」というクイズに、息子は答えた。「宮本武蔵!」
息子は、武蔵についてのいくつかの雑学をそらんじた。よいだろう。宮本武蔵についての雑学は日本人として知っていて損は無い。たとえ、その入り口が「声=松本梨香」の「生まれ変わっても武蔵でいてぇ…」の武蔵だとしても、それはそれでよい。
夏目漱石についても、関心を持っていた。驚く無かれ、平成生まれでオタクな息子にとっては、「夏目房之介さんのおじいちゃん」が先に来るのである。番組では、まるで売れっ子大衆作家のイメージを強調していたが、漱石さんのすごいところは、当時の日本の最高の「知」の最高峰の地位にいながら、大衆の言語に近く、誰にも心地の良いリズミカルな文体を開発したことだろう。ラノベしか読まねえ~~~な息子にも、漱石は素直に勧められる。ていうか、今で言えばラノベの神様だ。読め。読めば受験や今後の社会人生活に、確実に有効。
いろいろな人が、番組で話題に上った。息子にとっては「タッチ」や「こち亀」の声優さん・林家正蔵さんの父親・三平師匠。娘などは「さんぺ~です?」と、違う芸人さんの名前を出してしまったが、私もろくろく知らぬまま鬼籍に入られた伝説の芸人。この番組では、彼の偉業がどういうものかを描いた。落語と言う、確立された芸能が、テレビと言う媒体の誕生にあって、いかに生かせるか…当時の新聞を7紙もとり、時代を読む研究をし、先輩筋の非難を浴びながら一人新しい落語のスタイルを確立した。息子も、膨大な資料の写真に驚き、新しく面白いことをして、認められるのにはこうでなければいけないのか…と、心奪われたようであった。
そして、「手塚治虫」である。
自分だって「読むな」と言われても読んでいたし、息子も娘も、「読め」どころか「読むな」と言っても幼い頃から読みふけってしまう、そんな悪魔的におもしろい傑作。
今、日本漫画は、まさに花盛り。
かつて手塚治虫が「漫画の描き方」でみかん箱と紙と筆記用具さえあれば…と書いた。
でも、ペンとインク、インクは墨汁、もしくは耐水性の…というのに踊らされ、私もケント紙やらGペンやらを、捜し求めた漫画少女だった。が、子供の頃、近くには超有名漫画家が住み、その師弟も同じ小学校にいたのだが、それでも思うように道具はそろえられなかった。いや、今思えば道具なんてどうでもよかったのだろう。当時はダメと言われたボールペンやサインペンの類でも、十分漫画は描ける。パソコンの普及で、漫画でもアニメでも、一人でほほいと書ける時代になった。私の子供たちは、そんな時代に生きている。
その子供たちが、テレビの再現画像を見て驚く。「ブラックジャック」」と「三つ目が通る」と「火の鳥」の締め切りに同時に責められる手塚治虫に。
うちの子供たちはブラックジャックも三つ目が通るもとっくに読んでいて、そのクオリティの高さに驚いているが、これが週刊誌連載で同時進行となると、一体何なんだか。
今で言えば、「デスノート」と「ワンピース」と「鋼の錬金術師」を週刊雑誌で同時に一人で連載した上に、青年誌の開拓を耽々と狙ってる…このくらいの活躍ぶりだった。
その前に、通常の風刺漫画から、冒険漫画、推理物、そして少女マンガを開拓、以後いろいろな「漫画」の可能性を開拓した人。続く若い漫画家を見守りもすれば、キャリアの差も考えずライバル視する…
何はなくとも、とんでもないことをした!と、手塚氏の没後に生まれたような子供たちにも「これが天才と言うものか」と思えただけで幸運。私は、せめて自分の知る当時を教えるだけか。
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