「ドラえもん最終回」に思うこと~本物の石ころ、偽もののダイヤモンド~
もちろん、「ドラえもん最終回」は読んでいた。ネットで何度も話題に上っていたから。
今回の騒動、小学館側の判断を責めることはできない。妥当だと思う。著作権は守られなくてはいけない。このようなことを野放しにしていては、真の創作活動の妨げになるだろう。
最近話題になった某国の遊園地にも「ニセドラえもん」はいた。醜悪だった。造形の未熟さ以上に、ドラえもんのなんたるかをまったく理解していないくせに、表面だけ猿真似して、何の芸もない実に劣悪なモンスターを作ったものだ、と辟易した。
しかし一方、「最終回」の方はいやに「本物」だったのが問題なのだ。報道でも、それを本物と勘違いして「教材に使いたい」と申し出た学校の先生がいたとかなんとか。絵柄は実に丁寧に似せてある。内容も、「もしも本当に最終回が描かれるとしたらこうだったのかもしれない」と思わせるほどのものだった。
実は私も、これを読んで感動した人間だ。子供の頃からドラえもんを読んできた私にとって、この漫画は「本物」だった。うれしくて、涙が出た。一応、原作ドラえもんは、のび太がジャイアンに立ち向かう話で一度完結し、その後エンドレスの物語になっている。F先生には今もご存命で、ぜひとも新たなドラえもんを描き続け、国民栄誉賞くらいはとっていただきたかった、と今でも思う私だが、今もご存命でいらしたとしても、きっと「最終回」は見ることは無かっただろう。終わりのない物語。それでもいい。が、物語の終わりも見たい。そんな私のような人間の欲求に、大変なクォリティで応えてくれた作品だと思う。
私は、今の30代が大好きなテレビアニメ「ドラえもん」も、「違う」と思ってきた。ドラえもんは、あんなに説教臭い存在ではないし、のび太もあそこまで凶悪ではない。子どもにせがまれて買った、ドラえもんを使った学習漫画には、呆れた。ドラえもんである必要はまったくなく、キャラクターは似ても似つかないし、学習しようにも「これなら教科書の方がおもしろくてわかりやすい」というようなものだった。
これが、「オフィシャル」である。
と、一応大人の私は理解する。きちんとした契約の下で認められたものだけが「本物」だ。それがキャラクタービジネス。どんなにうまかろうがなんだろうが、偽者は偽者である。
しかしなあ…
私が子供の頃大好きだった漫画の、原作者が亡くなってからの現状ときたら。もちろん著作権は遺族やプロダクションにあるのだけど、その後のキャラクター展開や、映像作品の………なこと。うまく原作を本当に愛し、素晴らしいものに昇華した「009(最後の蛇足除く)」「鉄人28号」などもあるが、絵はきれいなのに、原作はあんなにおもしろくて、それを忠実に映像化したらなんでこんなにつまらなくなったんだろうと思うような「●の鳥」とか「●・J」とか。
そりゃあ、「ファン」には何の権利もないのでどうこういうこともできない。言われるままに、「オフィシャル」を受け入れるしかない。
そういう現状だから、「パロディ」や「二次創作」という波が起こる。『自分たちが欲しいものはこれ!』と、どんどん創りだしてしまうのだ。もちろんこれは著作権的にはグレーだし、権利者が怒ればたちまち犯罪。
…しかし、コピーして丸儲けした悪質業者と同列にされてしまうのか?
今回の事件は、「見せしめ」効果を狙ったのだろう。出来が良すぎたばかりに…と、作者には同情を禁じえない。
そして正当な権利者側には、これ以上の「本物」を我々に見せて欲しい。
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