声優さんって大変だ~「銭」で描かれるその世界に息子は
「銭」4巻を購入し、娘に先駆けて読んだ。うん、おもしろい。
私と息子が大好きな声優の世界も描かれていた。その「数字」にはいろいろ驚かされっぱなし。それを目指す若い女性を中心に物語は進むが、なぜか「銭」を読もうとしない息子に、その話をいろいろ話した。
息子は声優に詳しく、自分でもモノマネをし、親ばか視線ではなかなかの美声である。
さらに、絵を描くのが大好きで、いつも萌え美少女を描いている。「学校の机って描き心地がいいよ~」と、私が止めるのも聞かずに机を美少女で埋め尽くしており、先生に「ほう、君はロリコンなんだね」と優しく声をかけられたそうだ。
おまけにパソコンに詳しく、小学生の頃は自作のアニメーションを作っていた。
絵に描いたような……である。それで一時期は不登校引きこもり。典型ちゃんだ。
だが、同じような子が声優、漫画家、アニメのキャラデザイナー、ゲームクリエイターなどにあこがれ、養成学校にお金を積んで入るなどするのを、息子は非常に冷ややかに見ている。「夢は追いかければかなう、なんていうのは嘘だ。かなえられた人間だけがそういうが、その影でどれだけの人間がそれで人生を棒に振るか」が、息子の持論だ。って、普通そういうことって、夢見がちな子に親が言うせりふでは…
そりゃあ、半端な能力と覚悟で目指せる世界ではない。私も息子にそういう世界を目指すんだ!などといわれたら正直困る。が、こうも自分の可能性を否定するのもなんだか寂しい。
「あんたは夢を見なさすぎ。少しは挑戦しよう、努力しよう、と思ったら?せっかくいろんな能力があるのに、あんたが人の指導を受けたり、『努力』をしたらどれだけの力を持てるかわからないのに」
息子は、幼い頃から「能力が高い」と言われてきた。が、努力などということは絶対にしない。まったく独学、自分の判断でいろいろやっており、たとえば教科書を開けば書いてあり、わけがわからなくても覚えておけば点数がとれる法則でも、自分で「発見」しないと気がすまない。体を鍛えるのは好きだが、人から指導されるのは大の苦手だ。靴があまりに傷むので何をしているのかと聞くと、「いつも壁のぼりをしているから」と答える。壁を見ると上りたくなるというのだ。乗り越えるのではない。手を使わず駆け上がるのである。これをきちんと鍛えれば空手の達人か、カンフーの達人か、スタントマンやいっそジャッキー・チェンを目指してもいいじゃないかと思うのだが、そんな夢はまったくなく、そこに壁があるから上る、だけだそうだ。
「あんたは俺を買いかぶりすぎだ」という。親が子に期待をかけるのは普通だろう。自分の子の能力を見極め、適した道に導いたり、無謀な夢に「壁」として立ちはだかったりするのが、このくらいの年の子の親の務めだ。自分の可能性を全否定する子にやきもきするのは当然だと思う。そんな私に息子は叫んだ。
「うるせえ!石はいくら磨いても石なんだよ!」
……
なんか、FFTのせりふでも聞いたような感じだ。「家畜に神はいない!」くらい、ぐうの音も出ないお言葉である。
FFTの追加シナリオより、「松野節」を感じた私は息子、文才もあるんじゃないかしら、ゲームクリエイターとかシナリオライターとかいけるんじゃないかしらと妄想をめぐらせた。
子どもが夢を見なければ、親が夢を見るはめになるのである。
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