渇水です~子どもに不自由を教えましょう~
今年は渇水である。雨はそれなりに降っていて、それどころか今月、近所では水害さえ起きたけれどダムの貯水量にはまだまだ貢献することなく暑くつらい夏になりそうである。
私も何度か渇水で節水する夏を越したけれど、20年くらい昔、やはり苦しい渇水があったと記憶している。
ダムは干上がり、田んぼは乾き、川には魚が苦しそうにうめいていた。庭への散水も控えよう、噴水やプールも中止という夏。だれもが我慢を強いられた。
そこへ、こんな投書が新聞に載った。
「渇水のツケを子どもたちに背負わせるのは間違っている。子どもたちのプールを再開して」という母親の声だった。
私は呆れた。背負わせるも何も、ないものはないんだから仕方がないではないか。長年丹精こめた植木や盆栽が枯れそうな人もいる。農業関係者はすべからく苦しい。田んぼに水を張れず、その年1年の収入を失い、人生を狂わせる人もいる。果樹などは、もしも木が枯れでもしたら、1年どころかどれだけの負債を抱えることになるのだろう。人も死活問題だが、川や田んぼでは本当に死の危険に晒された生き物がたくさんいたのである。
未来が無くなる人や生き物がいるのに、未来ある子どもたちには一年くらいプールを我慢させても良いではないか。いや、この機会に我慢させるべきである。お天道様のご機嫌には逆らえないものだと。こういうときには我慢し、助け合い、解決するものだと。
どうにも水がないと困る人を優先し、楽しみは後回しでよいと、なぜ教えないのか。楽しみにしていたプールを奪われ、あれも我慢、これも我慢と強いられた子どもたちは、それを機にどれだけのことを考えるかわからない。
これまで何不自由なく使えていた水は、一体どこから来ていたのだろうか?
水が無いって、本当はどういうことだろうか?
なぜ水不足がおきるのだろうか?
気候や都市の構造、歴史などに興味を持つ良い機会だ。「こんな夏はごめんだ」と思えば、そうならないような国を作ろう、環境を守ろうという意識も高まるだろう。
しかし、世論はその声を尤もだと受け入れた。子どもに我慢させるな、公立学校でプールを再開せよ…かくて学校のプールには子どもたちの笑顔が戻ったのだ……
学校などに難癖をつける「モンスターペアレント」なる親が急増しているという。「子どもがかわいそう」の大義名分の下、どんな無理難題も通そうとする親だ。権利意識ばかりが肥大し、子どもに我慢を教えず暴れまわるという。そんな親に蝶よ花よと育てられた子どもが、果たしてこれからの日本を担う人物に育つのかどうか。
私はあの「プール」親が、モンスターたちの元祖的存在に思える。そしてあの頃プールで笑顔を取り戻した子どもたち世代が、たしかそのあといろいろヤバかったのだ。
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