「イグアナの息子」~私はどんな母親だったか
生まれたばかりの息子を胸に抱いたとき、「無事に生まれてよかった」というばら色の感動とともに、一抹の不安がよぎった。
「この子は、私に似ている」
「イグアナの娘」という、萩尾望都さんの名作漫画がある。ちょうど息子が生まれて育てている頃にはドラマ化もされていて話題の的となった。この作品を「母と娘の確執」というように言われていたが、私は少し違う感想を持っていた。
「イグアナの娘」とは、わが子を愛せない母親と、そんな母親に傷つけられて育った娘の物語だ。生まれたばかりの娘を見て、母は「イグアナ」と錯視し、パニックを起こす。以後、楽しいはずの育児がまったく楽しめず、二人目の娘を生んでようやくその子に愛情を注ぎだすのだが、最初に生まれた娘にはどうしてもおぞましいイグアナを見てしまい、厳しく当たる。愛されない娘はコンプレックスを抱えながら自分なりに幸福な生活を得るのだが…
ああ、この母親は私だな。
育児疲れの状態で読み直した私は思った。相手は息子だけれども。
作品中で周囲が言うには、イグアナ娘と母親は似ていているのだという。一方あとに生まれた妹のほうは母親にとっては自分があこがれた容姿を持ち、異質な存在。母は、自分に似た娘を疎み、自分と違う娘を溺愛したのだ。
「イグアナ」とは、自分自身に潜むコンプレックスなのではないか。
作品中に描かれる母親は、知的そうな和風の美人。イグアナ娘も、そのような知的美人である。しかし彼女があこがれたのは柔らかな色の髪を持つ、どちらかといえば西洋風の顔立ちでかわいらしい、自分と正反対のタイプだったようだ。
私が息子を見て直感的に「この子は私と同じだ」と感じてぞっとした。当時はアスペルガーなんていう言葉も生まれていなかったけれど、本当に理屈ではなく、自分の相似形を嬰児に見出してしまったのだ。ついでに私の場合、忌まわしい状態で亡くなった弟がいる。その子にもよく似ている……と母親に言われるたびに恐怖を感じた。
私にも次の子が生まれた。今度は女の子だ。この子は全然自分に似ていない。自分がこうありたいと思うような、太陽の下に生まれてきたような素直な子だった(今は反抗期だけど)。私はこの子を溺愛した。もしかしたら、息子は「イグアナの娘」と同じような疎外感を持ち、苦しんだのかもしれない。しかしもしもここで同じような子が生まれていたら、きっと私は壊れていて、みんな生きていなかったんじゃないかと。
どんなにがんばっても自分そっくりの変な人間になってしまう息子に絶望する私が「イグアナの娘」をそういう視点で読めたのは幸いだった。この母親の問題点は何か、ひいては自分の問題点は何かを素直に考えられたからだ。
自分自身を認め、愛すること。許しがたい過去は、許すこと。
「イグアナの娘」の母親は、自分の魅力、長所を最後まで否定してしまっていたのではないか。彼女の若い頃は、「西洋風」がもてはやされたり、頭が良くても「女が学問なんか持っても」などといわれるような時代だっただろう。それがどれほどのコンプレックスに至ったかなどは作中に描かれていないので私の想像に過ぎないのだが、自己否定が自分に良く似た子の否定に至ったんじゃないかと思う。
イグアナの娘は母の死に顔を見て驚く。その顔は、イグアナそのものだった。
うちの息子は、顔を洗って見た鏡の中に「むかつく顔がある」と笑う。
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コメント
まさに同感です。私も息子の中に自分が重ねて見えた時に、「なんて嫌な子!」と思うと共に、私と似ている!と直感し、私の母はこんな思いをしていたんだろうな、と自分の幼い日々を思い出したりしてた。そして、私も同じく下の子が生まれて、なんて可愛いんだろう、と初めて母性と言うものを感じた。あまりにも可愛くて可愛すぎて、この子は私の手からいつか離れて行くのではないかという不安がつきまとい、心配でならなかった。私とは似てない、誰からも好かれる子だった。誰が見ても分かるぐらい下の子を溺愛した。下の子も本能で兄との違いに気づき、私に甘え一人占めした。小学校の頃、学校から帰りお友達と遊びに行って、少しでも帰りが遅くなると居ても立っても居られなくなるほどの狼狽振り…。もう帰ってこないのではないかという、普通の母が心配する気持ちとは全く異なる不安が心の中をいっぱいにした。それは中学2年にもなっても同じだ。お祭りに行って夜の11時近くになっても帰ってこない時は、1時間前から5分置きに確認しに行き、何も手につかない状況。警察に、と思った時に帰ってきた。そんな私を夫は冷ややかに見て、子どもに言った。「お母さんが半狂乱になるから早く帰って来なさい」と。
この下の子がいなかったら私はやっていけなかっただろう。そしてこれからも…。上の子が不登校になった時に、下の子から何度も何度も慰められた。私を抱きしめてもくれた。中学生のわが子に助けられて、余計に愛情が増した(うちも反抗期なので言葉はきつい時があるけど)。 闇鍋奉行さんと同じ環境です。
「自分自身を認め、愛すること。」って難しいですね。それが、息子を認め愛する事につながるんでしょうね。
投稿: satomi | 2007年8月31日 (金) 02時10分
satomiさん、またまたようこそ~!
まさか同じような環境の方がいらっしゃるとは。神様は、いろいろ考えていらっしゃるのかも。
私も精神的に幼い人間ですが、それが少しでも成長するようにこういう子たちがいるのかもしれない…なんて思います。
投稿: 闇鍋奉行 | 2007年8月31日 (金) 22時26分