息子との話で、流れは普通運転免許の話題になった。
うちは、夫も私も運転免許がない、身分証明しようのない負け組み家庭である。あろうことか、夫は大学で「自動車部」に在籍していたのにも関わらず、免許が無く、ずっと就職に苦労してきた。「金がなかったから」だそうだが、私は本人の金銭感覚が著しくおかしいのに気づき、クローンのような息子にはとくに、貯蓄の大切さ、倹約の大切さを教え、まずは自力で18の春に運転免許を取れるのを目標に、バイト代を貯めていこう、と指導している。
息子はそれが大変不満だ。まあ、お金がいくらあっても足りないオタク少年だ。それもあるだろう。
しかし、息子はおもわぬことに噛み付いてきた。私がなんのこともなく口にした、「運転免許は年齢プラス10万」という、昔から言われるような言葉に。
記憶力や反射神経が大切な運転免許をとるなら、若いうち。私の若い頃もそうだったが、今はとくに高校を卒業し、大学などに入る…あるいは就職するまでの1ヶ月近い長い春休みで普通運転免許をとる、というのがあたりまえ。年をとってからでは合格しにくく、大変ですよ…というのは、半ば常識である。
しかし息子は納得しない。「プラス10万というのはおかしい」「比例ではないのか」
「私は、数学の話をしているのではない。これは目安として言われていることだ」「常識だ」という私に息子は叫ぶ。
「俺は数学の話をしているんだ!」「常識だからといって流されるのはおかしい」
なんでこんなことで大声で議論しなくてはいけないのだろう。何度も、何度も説明した。これはあくまで目安だ、個人差があるから若くても合格できない人、年をとっていても簡単に合格できる人はもちろんいる。しかし全般的な傾向として若い人ほど早く合格できる、だから若いうち、時間があるうちに免許をとりましょうというごく普通のことを話しているのにすぎない。息子もそれには基本的に同意しているのだが、「年齢プラス10万」という、一般人にはきわめてわかりやすいたとえが、納得できないというのだ。
もちろんこれはきっちり統計をとったものかどうかはわからない。もしかしたら、「習うなら、今ですよ!」とあおる宣伝文句のひとつかもしれない。それでも、若い方が合格率が高く、結果自動車学校の学費や受験料が年齢に応じてしまうのは、私には理解できる。「婚約指輪は給料の3か月分」という宣伝文句よりも、よほど納得できる算出法ではないか。
「だから!別に年齢で学校が『あなたは30歳だから学費は40万円ですよ』とかいうんじゃないの!生命保険とかだとそういうことになるけど、同じ条件で学費を提示しても、結局合格までの速さで、若いと安く済み、年取るとお金がかかる、ということなの!」「学校に行かなくても免許は取れるんじゃないの?」「そうはいかないの!」
厳密に言えば、自動車学校だってお得なパック料金を出したり、宿泊プランを出したり、また個人差もあるのだから、必ずしも「年齢プラス云々」というのはあてはまらないこともある。あくまでも、「目安」としてそういうことが言われる、と言ったばかりに、なんで1時間も叫びあわなくてはいけないんだろう。
「だからね!授業料は一緒なの。受験料も一緒。最低限受講しなくてはいけないことも一緒で、実技も一緒。だけどそれを飲み込めるかどうかで時間がかかることもある。結果、課題をクリアできない人はお金がかかるのよ!」
う~~ん、あたりまえなんじゃないかなあ……というようなことを理解させるのに本当に時間がかかる。おまけに「だったらはじめからそう言えよ!」とがなられるし。
息子は今の学校では大変優秀で、私も能力はある子だと親ばかモードである。だが、本当に「当たり前のこと」ほどわからせるのに苦労する。しかし、成人するまでに「当たり前のこと」をひとつでも多く理解させないと、本人が後々苦労するのは目に見えている。
それに少しでも早く気づいたほうがまだましだと思う。
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