親がしちゃいけないことについて考えた
今日仕事で会った奥さんは、小学生の子のスポーツチームが大会で優勝したとうれしそうに話してくれた。
子どものスポーツというのも大変で、母親は練習場や試合会場に車で子どもを送迎したり、お茶当番などを請け負ったりしなくてはならない。同じようにがんばっている人の話を良く聞くが、大のスポーツ嫌いで面倒くさがりで、車の免許も持ってない私としては「うちの子がスポ少とかやる子じゃなくて本当によかった」と思うばかりで、ひたすらがんばるお母さんたちに敬意を表するしかない。
しかし一方でその奥さんは言う。「熱心なのはいいけど、時々困った親もいる……」のだそうだ。わが子かわいさのあまり、試合中に過激なヤジをとばしたり、「どこ見てんのよぉ!」と審判に食って掛かったり、で名指しで「○○チームは静かにしてください」と注意されているのだとか。
先日ぶっ倒れたときに電話をくれた旧友が、今日も案じて電話をくれた。あ~~…リターンしなくてすいません…と、いろいろ話していたときに、「この話しましたっけ?」と彼が切り出した。
それは彼が経験した話なのかテレビなどで見た話なのかわからないが、「学校の先生が、生徒の携帯を没収。すると親が乗り込んできて没収されていた日にち分の基本料を支払え、と先生に詰め寄った」というものだった。
なんかもう、脱力した。モンスターペアレントって、こういうものか。
そりゃあたしかに、我々親世代は、昔の自分の親や祖父母世代と違い、学校の先生に対して盲目的に追従しない。学校の先生に負けないくらいの知性や教養、あるいは学歴を持つ親だって多いと思う。問題のある先生に対抗する力も当然持っている。
が、親と教師がお互い高めあい、認め合い、協力して子どもを指導する、ということをしなければ子どもは本当には育たないと思う。そのための「PTA」だ。有害図書や有害番組に難癖をつけるのが本来のPTAではない。
ルールを破った子どもを厳しく指導してくれる存在と言うのはありがたいものだ。親は子どもにとって絶対の存在だが、親は完璧ではない。また、親がいくら言ってもダメなことを、他人が指導すると素直に受け入れる、ということもある。その、一番身近な存在が学校の先生である。最近は、銭湯ではしゃぐ子どもを一喝してくれるオヤジ、なんていうシチュエーションも望めないし。(これも、スーパー銭湯の店長が嘆いていた)
生まれてきたわが子は可愛い。親がしっかり見てやらないとすぐに神様のもとに帰ってしまうようなはかない命は、いくらでも親が守ってやるといいと思う。昔は、幼児は神の領域にある存在で、「ヒト」として認められていなかった。幼児が亡くなっても、葬式や墓を作るということがなかったらしい。玄関に埋めて母親がまたぐことで再生を願ったのだそうだ。しかし、七五三の節目を越えればようやく「ヒト」。そうなると、いよいよ人の世での修行が始まる。これは親だけに課せられるものではなく周囲の大人すべてが請け負って当然のものだった。
うちの息子など、結局は私に甘えているのだろう。どんなに成績が良かろうが、理屈をこねたら天下一品だろうが、精神は3歳児レベルである。気に入らないことがあればだだをこねて希望を通そうとする子だ。ここで私が暴力を恐れて甘えさせてしまうと、ただの怪物を作ることになる、と私は信じる。
幸い、息子が通うバイト先はきっちりしたところで、しっかり叱り、しっかり褒めてくれる。息子もそんな話をするが、私は「それはありがたいことだ」と諭し、自分の体験談などを交えながら、テストで点をとればいいだけではない社会のことを教える。私は息子よりも重傷の、テストだけはばっちりだけどヒトの心なんかわからない、微笑を浮かべることもできない人間だったのが、高校のときにバイトでいじめられたことが良い転機になったので、このご時勢にしっかり息子をしかってくれる存在は、とにかくありがたい。
私も相当の親ばかである。息子も娘も超天才の美少年美少女!くらいうぬぼれている。だからこそ、の他者のブレーキ。これが大切じゃないだろうか。
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前に話題にしていた「3歳児クン」。最近聞いた話題では、大学を首席で卒業しながら、「著しく能力を欠くばかりか、会社に大変な損害を与えた」理由で解雇されたことに父親が腹をたて、会社に怒鳴り込む寸前だったらしい。
3歳児クンが入院し、暴れたときに社長が「○○さんのお宅ですか」と電話したら、いきなり「誰え~????」と不機嫌に返した、一応両親ともに教師と言う、由緒正しいご家庭である。想像するに、地元では名士、息子は自慢の天才美少年。でも、本当に大切なこと……試練のようなものを与えたのだろうか。
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