リディアが火を恐れる理由~ゲームで描かれる「死」~
モンハン関連の記事を書き始めたので、あの問題に関心のある人が結構来てくださっている気がする。私が実際にモンハンをやっていないし、いろいろ勘違いしている部分もあるかもしれないのは、ご容赦いただきたい。
息子に、ちょっとプレイ画面を見せてもらったが、やっぱり目に付くのは攻撃したときに飛び散る血の表現だ。うわ、これは「15歳以上推奨」になるわ。しかし、私はこれも評価したい。
モンスターハンターは大人気ソフトであるが、この表現のため年齢に制限がある。もしも血を出させず、皮や肉を利用するようなちょっと生々しいことをしなければ、全年齢対象でも問題なくいけ、もっと売れたかもしれない。しかし、製作者はきっと、あえて「15歳以上対象」という足枷を食らってでも、この表現を選んだのだと思う。「狩る」「殺す」「生命を利用する」という感触を、プレイヤーに与えるために。
血なまぐさいのはイヤだけど、じゃあ私の大好きなFFみたいに、切っても突いても血が出ない、死んでも生き返る、というのが本当に教育にいいの?という疑問は絶対に残る。別にFFに限らない。今、子どもたちが触れられる表現には血なんかなく、死体も無い。死の影がとことん排除された状態なのだ。
それが本当に健全なのか?
ファイナルファンタジーシリーズは、テレビゲームが「子どものもの」だった昔から、むしろ「死」を扱うゲームだった。とにかく人が死ぬ。ともに冒険した仲間が、何かと助けてくれた人が。それは製作者の坂口氏が、当時最愛の母親を火事でなくした経験から、と聞く。
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今日はFF4DSをやる時間がほとんどなかったが、ホブス山を越えるシーンに来た。
幼い召喚士・リディアは、めきめきと育ち、強い魔力で黒魔法と召喚魔法を使いこなす。しかし、なぜか黒魔法の初歩中の初歩、炎属性の「ファイヤ」が使えない。プレイ中に「あれ?」と思うが、それがホブス山に入るときにはっきりする。
山道をふさぐ巨大な氷塊。白魔道士ローザは「ファイヤを使ってみて。あなたしかできないの」と説得する。しかし、リディアは恐れるのだ。かつて愛する母を、生まれ育った村を焼いた炎を。
彼女の心の傷を作ってしまった主人公は自分の罪を再確認する。そんな彼の愛する女性は、それと知っても、世界を救うために傷を乗り越えて、と厳しいことを言う。憎しみ、恐怖…幼い少女はすべてを乗り越え、氷塊に炎を放つ。
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べったべたな展開だけど、当時の製作者のエピソードを知ると別の感慨が湧いてくる。死を受け止める、傷を乗り越える、そんな力強さが、このシーンにこめられているのだ。ゲームクリエイターだって、数字を追うだけではヒット作は作れない。何かしら、メッセージのあるものが受け入れられるものだ。
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FFシリーズは、今は生みの親の坂口氏も離れ、「全年齢対象」のメガヒット作、王道を行くべく進化している。ターニングポイントは、FF7だろうか。PSの最大話題作FF7は、普段ゲームをしない人もこぞって「最新の映像表現」に飛びついた。たった一日で、CD-ROM3枚組みのソフトが180万本売れる異常事態。10年たった今でも、大人気のソフトである。
しかし、途中で死を迎えるヒロインの存在が、大変なことになった。若い世代は、当時流行っていた漫画や他のゲームのように、当然いつか彼女は還ってくると思ったようだ。ネット上で真剣に彼女の生還ルートなどが語られたらしい。株主会議というオトナの世界でさえ、「エアリス生き返らないんですか?」なんていう質問が飛び出たという。さらに、彼女を死なせるシナリオを提案したと報道された某ゲームクリエイターには、未だに誹謗中傷が絶えない。
な、なんなんだ、と思った。今の若いコって、人が死ぬのが理解できないの???
以来、「人が死ぬFF」は、ほぼなくなった。映像表現は豊かになったが、当然血なんかでない。別の理由もあって坂口氏は離れ、FFは全年齢対象、最先端の映像でかっこいいFFの方向に向かうようだ。
ジャッキー・チェンの映画のように、ひたすらかっこいい痛快アクションっていうのもいいけれど、そこに「死」という影があり、ドラマがあるのがFFのよいところだったのに。でも、こんなに映像がリアルになっては、血も流せない。数字を追うためには、「全年齢対象」ははずせない。
ああ、「ブシドーブレード」やりたいなあ。
これは、FF7とあまり変わらない時代に、当のスクエアから出たゲームである。当時は本当に実験的な意欲作をどんどん出させた、ゲーム黄金期だった。これは格闘ゲーム形式であるが、とことんブシドーにこだわり、斬れば血が出る!腕を切られば腕が使えなくなり、足を切られれば歩けなくなる。卑怯な手段で背中から切れば即負け。また、負けを悟れば潔く切腹もできる、と、非常におバカなくらい、ヘンにリアルにこだわったブシドーであった。
斬っても突いても焼いても何もないゲームのおそばに、こういうのもいかが?
これもまた、ひとつの表現だ。もちろん、当時でも「残酷・グロテスクな表現が含まれています」表示だったと思う。(2からだっけ?)
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残酷なものを子どもたちの周りから排除すれば、子どもたちが健全に育つなどとは私は思っていない。人間の性からいけば、子どもたちがそういうものに興味を持つのは当然、ことに男の子には、攻撃性が強いことがあるのだ。ヘンに抑えこんでも仕方が無い。狩りも戦争も無く、小さないじめも許されないのなら、ゲームででも攻撃性を発散させとけ。
で、大事なことはゲームに限らず、本やテレビなどに育児を任せないこと。それをどう捉え、考えさせ、判断させるかは、やっぱり親や、周囲の大人の仕事なのである。
そういう意味で、投書した母親は偉い。
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