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2008年3月25日 (火)

人の攻撃性はどこに向かうか~私の「無差別殺人」未遂~

私にも、「ここのやつら、みんなぶっ殺してやりたい」と思った瞬間がある。

それは私に何の危害を与えたわけではない、何の接点も無い人々。とあるお祭りで、楽しそうに家族やカップルで夜店を楽しんでいた人々だ。私はその人ごみにもまれながら、自分の心から沸き出でてくる刃物で、無差別にめった刺しにしたいという衝動にかられたのだ。

それは、自分の孤独を感じ、世界中の誰もが自分を嘲笑し、敵に回っている……という妄想にとらわれたときだった。夫に捨てられ、仕事はうまくいかず「何をやらせてもダメな人」の烙印を押され、唯一心のよりどころである子どもともうまくいかなくなった。自分の親、最近会っていない親友、みんな、自分の妄想の中では私をあざ笑っているのだった。

…幸い、その時は刃物を持っていなかった。私は刃物を買わず、ウイスキーを一本購入し、家に帰ってすごい勢いであけてしまった。そして絶叫、号泣、ご近所中に聞こえるような怒号をあげ、親や警察が飛んでくる騒ぎになった。

ああ、本当にみんなにあざ笑われることになった。いっそ小気味がよい。人間、落ちるところまで落ちたら、あとは這い上がるだけね。

私の場合、「落ちるところ」が微妙に新聞沙汰や裁判沙汰にならない落下点で、本当によかった。傷ついたのは、自分や家族(夫以外)だ。誰の人生も奪っていない。誰かに奪われた、と悲観していた自分の人生だって、なんだ、ちゃんと残っているではないか。ずたぼろにしてしまったのは、自分自身だ。

さて。私がこの騒ぎを起こしたときは、自分の生きがいともいえるテレビゲームの類を、一切断っていた。仕事ができるようになるのに必死で、やっているヒマもなかったのだ。私の異常な攻撃性は、テレビゲームで培われたものではない。私は、大人になってからゲームをいじりだしたし。ゲームのやりすぎで狂ったわけでもない。思いっきりはまった多くのゲームでも、私を本当に不幸や孤独にしたことはない。自分の不幸は、自分自身の問題で、攻撃性は自分自身から生まれたものだ。

少し仕事に自信がもてたころ、FF12が発売されて、久しぶりにコントローラーを握った。楽しかった。鬱々とした自分が生き返ったようだった。以来、「時間もお金も無いから、基本的にFF中心、本当に欲しいソフトだけ」と決めて、仕事の合間などに楽しんでいる。何百匹も、モンスターを狩った。けれど私の実生活が低空飛行ながらも満ち足りているので、他への攻撃性に発展することなんかないのである。ゲームの中で魚や爬虫類などを狩る一方、ペットのミドリフグちゃんや熱帯ナマズ、熱帯ドジョウ、熱帯メダカなどに目じりを下げ、だらだらと平穏な日々を送っている。

あー、なんてくだらない人生。

でも、こんなくだらない人生でも人に無理やり奪われるのはゴメン被るわ。もちろん、自分が誰かの人生を奪うなんてとんでもない。

昔執着していた「幸福な人生」の呪縛から放たれ、誰も恨まず適当に生きている自分。心身ともにたるみきっているけれど、とがったナイフみたいな若い頃よりずっと素敵だ。

すべての孤独な若者が、何らかの輝きを取り戻せますように。

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