まったく最近の犯人ってやつは
江東区のマンションで若い女性が行方不明になっていた事件で、同じフロアの男性が逮捕された。暴行・殺害と、遺体をバラバラにしてトイレに流したことを供述しているという。
テレビでは、逮捕、事件についてあっけらかんと「疑われてるのかもしれませんねーwww」と笑って答える容疑者の映像が流れていた。会社の古希の女性は
「なんでそんなことをしたあとで、あんなに平然とできるんだろう。それが怖い」と、鳥肌をたてていた。
息子にその話をすると
「そんな、動揺したりして見せたらすぐにばれるじゃないか。ああいう態度は、当然だろう」と平然という。
しかし、人を殺したり、解体したり、証拠を隠滅しようとするのは、実際に体験すると大変なものだと思うのだ。
少なくとも、私の子供の頃はそんなことを考えるだけでも身の毛がよだつ、どんなに装っていてもお天道様は見逃さない、そういう良心に、押しつぶされるのが人間だと教わったのだ。
昔、私の子供の頃は、うそをついても目を見ればわかると言われた。私は「そういう大人は、バカだわ」と内心ほくそえみ、人間の死体を見るのが大好きという邪悪な小娘であったが、それでも、実際に人を殺したりはしなかった。それは、想像の中でだけ楽しむものだと思っていたからだ。
さて、仮にも隣人を襲い、命を奪い、本当にそうなのかはわからないが、すぐには発見されないほど手際よく捌いて証拠を隠滅。テレビカメラなどにも平然としていた容疑者。
私も、異常な性格だと思っていたが、この人本当に人間なのか。
「名探偵コナン」の「犯人役」じゃないのかとさえ思ってしまう。
推理モノの常として、真犯人はおよそそうとは思われない人、と相場が決まっており、毎週毎週繰り広げられる陰惨な殺人事件に対する容疑者の皆さんは、いずれも恐ろしい殺人事件が目の前で繰り広げられ、自分が疑われているという異常な状態に置かれていても落ち着いていて、コナンくんと名探偵毛利小五郎によってトリックが暴かれない限りはのうのうとしている。
そういうものだと割り切ってはいても、たまに読む推理小説や映画と違い、毎週のことになるとそんな推理モノのお約束が空恐ろしく思えてきたものだ。罪を犯したものの苦悩、恐怖、憐憫、後悔……そんなものをまったく描かないで、よいものなのかと。
この容疑者、そんな人間らしさをまったく持っていないのだろうか。自分の鮮やかな犯行に酔いしれ、さあ、皆さん誰が犯人なのでしょうねwなぞを解いてくださいねwと笑っているかのようだ。気分が悪い。
小説や漫画など、社会に悪影響を及ぼすなどと叩かれるメディアは、たいてい現実の先を行っているものだ。
そう考えると、余計に恐ろしい。
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