日本はどうなるんでしょうか?~デスピサロよりも深刻です~
仕事でいろいろ回り、雑談などをしているが、本当に悲惨な話しか聞こえてこない。個人事業主さんで、「上」を見ている人は皆無に近い。どこも閉店するか、首を吊るか、日本はもうだめだ、だ。海外に活路を見出す人もいる。……その人の目指す国は、治安の悪化で話題になったとある発展途上国だが、そっちのほうが日本よりまだましらしい。
少年のスポーツ大会の話を聞いた。その大会は四半世紀の歴史を持つ、某大企業の冠大会なのだが、「多分、今年が最後」だという。昔は地元企業や大企業が、喜んで地元に還元し、こういう大会やお祭りなどにお金を出していたのだが、「あの大企業でさえ、もうそんなゆとりはないらしい」のだそうだ。
こんな話も聞いた。パソコンのプリンタが調子が悪いので、その人はメーカーに修理を依頼した。すると、結構な額の見積もりを提示された。とりあえず修理を見送り、そのプリンタと見積もり票を持って帰った。ところが見積もり票を見ると、「10円玉が挟まっている」という診断結果だった。もちろんその人はど素人だが、さっと空けてその10円玉を取り出したら、問題なくプリンタは動いた。その人は、二度とそのメーカーを使わない!と憤慨している。
そのメーカーは、仮にも日本の精密機械技術を世界に広めた企業の系列だ。
子どもと歴史の話をした。
戦後間もない頃、混乱の上折悪しく天候不良もあって、日本は飢餓に陥った。子どもたちもよく知っているアニメ「火垂るの墓」の世界だ。これは作者の体験を基に書いた小説が原作で、本当にこういう時代があったんだよ、というような話。「ちなみに、節子ちゃんは、あんたのおじいちゃんと同い年だ」と言うと、娘が目を丸くして驚いた。子どもたちは歴史が苦手だ、あんなものなくてもいい!というけれど、どうあっても歴史の上に私たちは生きている。
娘は「年代なんて、1996年、私が生まれた!ていうことしか知らないわ」と言う。思わず「まあそうなの?ママ、知らなかったわ」というとまた目を丸くしたw。「そのときママはいくつだったの?」などと聞くので教えてやると、娘は計算して「ママは1964年生まれ?」と聞いてきた。ご名答。「ママの生まれた年は、昭和のターニングポイント的な年なのよ。何があったか、知ってる?」と、東京オリンピック、東海道新幹線開通などの話をした。
「火垂るの墓」の時代から20年も経たずに、日本はアジアで初めて「オリンピック」を開催したのだ。それはつまり、世界の一等国の仲間入りということだ。焦土から、スタジアムを建築し、世界各国のお客様を迎えてもなんら恥ずかしくない国へ。
この急な成長にはいくらかのひずみもあるが、世界中から蔑まれる敗戦国のどん底から這い上がり、やがては妬みさえも受けるほど目覚しい成長を遂げた私が生まれる前の日本人には、敬意を表するしかないと思う。
その原因が、勤勉さ、正直さ、貪欲なまでの模倣、それを実現する高い技術だと思う。「貪欲なまでの模倣」というのは、いささか婉曲的な表現だ。要は、「パクリ」だ。某有名化粧品会社だって、元は外国ブランドの模造品を売ったのが始まりだそうだ。日本はコピー大国の悪名をもらったが、高い技術でオリジナルを超え、自らのブランドを築き始めた。
その頃、経営者たちが真似やうそ偽りでラクに儲けよう、というような考えだけであれば、ここまで成長はしなかっただろうと思う。
日本は世界で唯一成功した社会主義国なんていう揶揄があったが、資本主義と社会主義が上手くバランスをとりながら新しい日本を作ってきた。労働者の権利を認め、そのための利潤追求も認め、消費者の声にも耳を貸し、儲けた人は世に還元し、で世の中やってきたのである。
合理化、再構築が叫ばれたのが、ちょうど子どもたちが生まれた頃だ。合理化というと聴こえは良いが、どんどん日本から「ゆとり」が失われたわけだ。「子どものスポーツ大会になんてお金を出してもムダ!」と、大企業が言っているのだ。
今、いろいろな人に会うが「個人事業主」は、苦しいながらも気概があり、「社会のために良いことをしたい、人に喜ばれる仕事をしたい」という。一方同じ「店長」などと呼ばれる人でも、大手チェーンの人にはまったくゆとりがない。目の前の数字を追うのがすべてで、創造力も気概もへったくれもない。本部の支持のまま、従業員の生活に配慮するような余裕もなく、ひたすら数字を追っている。今、主だった駅前や国道沿いは、そんなお店がいっぱいだ。しかしこんな合理的な経営が、やがてほとんどの個人事業主を駆逐するだろう。どこの駅前も国道沿いも、同じ店が並ぶ、という現象が現実になっている。
地域コミュニティなど、無くなるだろう。ほとんどの労働者が、一切生活の保障もない派遣や契約社員の道に落ち、目の前の数字だけ追い続ける非人間的な労働に追われることになるだろう。件のプリンタの修理の話だって、おそらく自社ブランドの誇りなどまったく無く、「数字」だけを架せられた人のやったことだと思う。
昔、日本が上を見ていた時代には、「損して得とれ」で、こんな専門的な知識や技術を要しない修理ならさらりとこなし、「お代は結構です(これからもわが社をごひいきに)」が、通用しただろう。顧客は企業や技術者を信頼し、良い関係を築けたであろう。
顧客をだましてでも、数字を稼げというような社会。
数々の「偽装」を行った人たちの顔が浮かぶ。「信用」は目先の利益よりずっと重いものだというのが、今の日本には通用しない。
こんなんで、真に世界経済の中でやっていけるのか?「日本人は勤勉で正直」の先人の遺産を、食いつぶしていいのか。
ドラクエなんぞをやりながら、「世界は魔族にほろぼされるのでしょうか」なんていう名も無い人々の声に耳を傾ける。
なさけないが、高度成長期に育った私たちが、「魔族」同然にこの日本を滅ぼしてしまいそうで不安で仕方が無い。
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