毎年恒例だが、夏休み後半になると、子どもたちの「夏休みの宿題」が気にかかる。
昨年は宿題の「絵日記」を深夜早朝までかけているので荒れに荒れたが、なんでも「絵日記」を提出したのが息子だけだったとかで、息子は今年は何もしない予定。
昨年の絵日記は、私には絶対見せないといいながら、PCを共有しているので少し見えちゃたりしたのだが、母親への不平不満を実に自由闊達な文章で書いていて、文体のリズムが心地よく、先生にも褒められたというので、なんだか残念でもある。私のこの、恥さらしな「息子観察日記」とペアにしたら、おもしろそうだったのに。
問題は、娘である。
ボイチャのうえに「ボイスブログ」なんていうのにもはまって、PCの前から離れない。
まだ、部活や体育祭、自分で行くと決めた塾は行っているので引きこもりの心配まではしていないけれど、夏休み、昼夜逆転のPC生活が不登校の引き金になるのは珍しくない。その前に、とにかく最低限やらなくちゃいけない課題はやらせないと!
と、毎日「あれやったの? これやったの?」と怒鳴っている。もう、夏も終わりなのね。きっと私の怒鳴り声は、ご近所の人にはひぐらしの鳴く声と同じに思えているだろう。
娘が取り組んでいるのは、理科の自由研究「アニメーション」と、「ポスター」と、「読書感想文」らしい。たしか「アニメーション」については、この日記にも書いたと思う。夏休みに入る前くらいのことで、順調に進んでいるかと思ったら
何もねえw
ぎゃんぎゃん言って、ようやくアニメーションの仕組み関係のサイトをめぐって、何枚かプリントしたくらいだ。って、それで勉強や研究になってるのか? と思う。
「あと、おにいちゃんに簡単なアニメの作り方を教わって、自分で作ってみようと思うんだけど」
不登校でアスペのおにいちゃんは、小学校の頃よくGIFアニメを作っていた。いわゆる「棒人間」モノで、ラストはいつも主人公の斬首で終わるのが気になってはいたが、親の欲目かもしれないけれど、完成度は結構高かったと思う。
しかし息子は何も聞いてないという。「俺、このあとバイトや友達との約束で、そんな時間ないぜ……」と驚いていた。リミットまであと10日を切って、相手の都合も考えずに何をやっているのか。
「読書感想文は? 『こころ』は読んだの?」
夏目漱石の「こころ」がBL臭いという話をしたら、目を輝かせて「読みたい」というので、私は翌日、話題の小畑健表紙の「こころ」を買ってやったのだが、一発ギャグで終わったようだ。薄い、ネット小説を借りてきて、「これにしようかな」などと言っている。……とりあえず、早く読んだら?
「ポスター」にいたっては、本当に動かない。お盆前「だって、紙が無いしー」とか言うのでお金を渡し、自分でそろえるように言った。で、原稿用紙と画用紙を買ってきたのだが、まったく何もしていない。叱ると「紙のサイズが違うみたいだしー」じゃあ、切りなさいよ、必要なのはB4? 半切? と聞くがよくわからないらしい。そのサイズは近所では売っていないと言い張るので、じゃあ隣街の画材屋さんは? あそこならどんなサイズもあるし、カットもしてくれるよ? と言うと「はいはい、そこに行ってもありませんでしたが何か~~~?」と口をとんがらせる。「とにかく紙を友達にあさってもらうから、それまで何もできませ~~~ん!」とのたまふ。 一日一日が大事なのに、娘はそれを口実に2日遊ぶ。
で、友達にもらった紙が、その10日も前に購入済みの紙と、どうみても同じサイズだったりするのだが?
暴走する10代、キレやすい老人の影に隠れていますが、40代女性は更年期ほかでもともとぶちきれやすいですよ? きれてもいいですか?
いいかげんにしなさい! 本当にやる気があるの?毎年毎年、こうなってるんだから、いいかげんに学習して、さっさと宿題を計画的に仕上げなさいよ!
そういうことを言うと、娘は最近、目をそらしてこういう。
「あ~ハイハイ優等生は違いますね~……」
娘は、何かと「頭がいい」「成績がいい」と言われる私や兄、ついでに父の中でコンプレックスを感じているという。
……これでうちがエリート一家ならわかるんだけど、はっきり言ってうちはただのダメなアスペルガー一家だ。
夫もおそらくその手だろうし、息子は言わずもがなである。
私は、子供の頃あまりしゃべった記憶が無い。幼稚園の頃から百科事典や「小学○年生」を読みふけり、子供向けのページばかりか「保護者の皆様へ」というページを熟読するような、ヘンな子であった。
おともだちと遊ぶ、ということも数えるほどしか経験が無い。たまにおともだちらしきひとが家に来たが、そんなときも私は黙って本を読んでいた。
私は「子どもはおともだちと外で元気で遊ぶもの」という認識は、一応読み物の中で知っていた。新聞では、「車社会の到来により、子どもたちの遊び場が減っている」などという記事が踊る時代で、それはゆゆしきことだなあ、と眉をひそめる子どもであったが、自分自身が、外で元気に遊ぶ子どもだとは、どこかで違うと思っていたようである。
同年代の子と一緒にいても、「一緒に遊ぶ」ということがまるでできない。「子どもは元気に遊ぶ」という認識がありながら、「自分が一番楽しいのは本を読んでいるときなのだから、相手もそうなはず」だかなんだかそういう理屈で、一人、本の世界に耽った。外に出ても鬼ごっこなどをするのは稀で、草や虫、蛙の死骸などを観察するほうが楽しかった。
教科書の内容は読めばある程度わかるし、テストの点を取るのは全然難しくない。それより、苦手な家庭科や体育で「努力」した記憶があるがまったく報われず、「受験に関係ない教科をバカにしているガリ勉女」と後ろ指を刺されて彼女の年齢を過ごした。
それが、娘にねたまれているとは。
息子を産んだ瞬間、この子は同類だと感じたが、娘ときたら、私の子だというのに全然違う性質だった。
ほんの2歳くらいから、なんと、人の顔をおぼえるのである!
……そんなの当たり前、とか言わないで! 私も息子も、難しげな本は読めるけど、近所の人やクラスの人の顔をおぼえることが、まるでできなかったのだから!
私が小さい頃から本や虫や植物にしか興味をもてなかったのに、娘は誰かとすれ違えば「だ~れ~?」と私に聞いた。……私もよくわからないので「ごきんじょのひとよっ」とごまかしたが、もう少し大きくなると、娘はなんと、周囲の人間関係を把握し始めたのである!
だからそんなの当たり前とか言わないで! 私にとっては、それはものすごいことなのだから!
歴史上の人物の系図は覚えられても、自分の血縁関係や、まして近所の人、クラスメートあたりがどういう関係かなんて、全然わからないから、いつも節目がちで、「この人知ってる人…な気もするから、一応挨拶しておこう…」で、これまで生きてきたのである。
なんで娘は、簡単に友達を作ったり、ものを貸し借りしたり、一緒に遊んだりできるんだろう。
大体、なんでいつも笑えるんだろう。私は小学生の頃はしゃべることもあまりなかったし、高校でハンバーガー屋のバイトをして、全然笑顔を浮かべられないことを指摘されて驚いた。私、笑うこともできてなかったんだ!
人の顔をおぼえられないので、友達のお兄さんの顔をしっかり覚えようとがんばったら、「あの不気味な女の子に、すごい顔でにらまれた」と苦情を言われたのも、そのせいだったのか!
今でこそ私は、営業スマイル・営業トークが売りだったりするが、それもこれも、娘という「普通」の子どもを見たおかげでもあるし、むしろ私のほうが娘にコンプレックスを感じまくりなのだけど。
最近のコメント