私はギャンブラーではない~息子とアカギを見た~
今日は本当に帰りが遅くなってしまった。会社を出たのが21時だ。スーパーで買い物をしたが、半額で売られていたパックのお寿司を、夕食にすることにした。…今日も歩いたし、売った。作った。へとへとだぁ~。
それでも味噌汁くらいは作らないと、しいたけと小松菜とネギの味噌汁を作る。テレビでは、アニマックスの「アカギ」をやっている。
大人気ギャンブル漫画だ。ネットでもアニメは絶賛されていて、その存在は知っている。息子も大好きである。
……が、困った。
私にはちっともそのおもしろさがわからない。命だの破滅だの、そんなものを賭けて何になるのだろう?
私は、ギャンブルをまったく楽しめない性質である。パチンコ、競輪競馬は言うに及ばず、麻雀などはもってのほか。会社でトトカルチョに誘われても絶対にのらないし、トランプだって、できれば「一人遊び」だけしたいタイプ。ついでにゲームで対戦もしたがらないし、RPGのストーリー上で、カジノやカードゲームやチンチロリンなどがあっても、できれば避けて通りたい。
貴重な装備などを得るうえで仕方なくスロットなどをやるとしても、負ければリセットを繰りかえし、着実に稼いでいく。ずるい? いいのだ。私はギャンブルを楽しむ気など、まったくない。仕方なく「作業」をしているだけだ。モンスターを倒し続ける作業と同じだと思わなければ、到底そんなことやっていられない。
こんな私なので、主人公アカギの破滅的な性格はもちろん、すべてのキャラクターの気が知れないので、退屈で仕方が無い。ナレーションが古谷徹さん(またハマリ役かも?)だというくらいか、見所が無い…
と、息子に愚痴った。息子は熱く「アカギ」の魅力を語るし、それもわかるのだけれど、わからないものは仕方が無いではないか。
「なんで、そんなに真剣に麻雀やってるのかわからないわ。遊んでいないで、まじめに働けばいいのに」と、私がつぶやくと、息子が笑い転げた。
「あ、あんた、もしかしてあのシーン見たの?」
へ? 前から、見てなくても音だけは聞いていたけど何?
「アカギっていうのは、伝説的なギャンブラーでありながら、中学の頃消息を絶っているんだよ。で、ニセアカギが現れる。そんなこんなで、工場で、まじめに働いているアカギを発見したやつが言うんだよ、『おまえ、何を遊んでいるんだ?』って」
は????
「もう俺、笑ったねwww『働いてる』んじゃねえかwww」
……それは驚いた。もう、私のようなギャンブルは射幸心をあおるからいけないザマスなPTAの発想とは真逆。そこが魅力なのだろうけど。
☆
食事をしながら少年漫画談義。少年向けの漫画は、長く連載していると、読者の欲望の赴くままに「ひたすら戦い続けるだけになる」「ライバルがインフレする」「徐々にひっこみがつかなくなる」などの宿命を背負う。最近はあの漫画もこの漫画も、そういう道をたどってしまって悲惨なのだという。ああ、昔は大好きだったのになあ。せいぜい20巻あたりで終わっていればなあ……と、惜しむ。「デスノートは、まだ12巻で終わってよかったわね。もっと早くてもよかったけど」「4巻で終わってよかった。テニプリは、おかしくなってかえってよかったけどw」……そうか、すごいなテニプリ。
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