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2008年10月30日 (木)

オトナとコドモのいい関係~息子と「よつばと!」を語った

きっかけは、ある小さなニュースだった。

迷子で泣いていた女の子を、20代の男性が送ってあげようと車に乗せ、彼女のいう「おばあちゃんち」を探していた。どうしても見つからないので、交番に行くと、「連れまわし」で彼は逮捕されてしまった。

その事件の真相や、その後についてわからないのであえてソースは出さない。ただ、とても象徴的なニュースだと思ったので挙げた。

というのも、今本当に、親切心であろうがなんだろうが、子どもたちには接触できない時代になってしまったのだ。登校中の子どもに「おはよう」と声をかけただけで「不審人物」扱いされたなどということは、特に男性にはよくあるらしい。

女性の私でさえ、うっかり「危ないよ」などと声をかけたり、迷子の子をあやしてあげたりすると変な目で見られること多数。い、言っとくが私はそれほど怪しい外見をしていない…と思うw

そりゃあ、知らない人についていってはいけないというのは、昔から当たり前だ。

知っている人でも、子どもが思わぬ被害に遭うことはよくあることだ。

しかしこれほど疑心暗鬼に、親や教育者以外の人間としか、子どもたちが接触できない時代も無いと思う。

「あいさつくらいは、したほうが却って安全なんじゃないかな、と思う」

と私。うちの近所では、既知・未知に関わらず、すれ違ったら「おはようございます」「こんにちは」などと声を掛け合うことを推奨している。それが、犯罪抑止力につながるというのだ。人の顔がほとんど覚えられず、人付き合いが苦手な私も、「おはようございます。今朝は寒いですねえ」なんていう他愛ない言葉くらいは、交わすようにしている。いろいろ問題だらけの家庭であり、ご近所に顔向けできないのはやまやまだが、うつむいてこそこそするよりそのほうが円滑な人間関係を築けると思うからだ。……も、もしもとんでもないことがあったとしても、「挨拶一つしない、親も子も変わった家でした」と言われるよりは「きちんと挨拶はするし、悪い人(子)ではなかったようなのに、なんてことでしょう…」と語られるほうがいいし! という「打算」もある。(同じ最悪な結果でも、このふたつは天と地ほどの差があるのだ!)

しかし、自分よりも年配の方々とはそれでなんとかやっているが、年若いご家族とはなかなか関係を築けない。赤ちゃんを見れば一応社会的に「微笑む」ものだ、と、現在エロBL作家の友人から教わった。……実のところ、私は子供の頃から子どもというものが大の、大の、幽霊とかオバケのほうがマシだ!というくらいの苦手で、自分の子の育児もおっかなびっくり、うわあ、公園に子どもがいっぱいいるよぉ、お母さんとかいるよぉ、こわいよぉ、何話せばいいんだよぉ、と震えながら育児に臨んだのだけど、今はベビーカーの赤ちゃんを見れば自然に顔がほころぶし、おなかの大きな女性や、うぎゃうぎゃ騒がしい親子連れにも慈母のごとき広い心と微笑で接しちゃいたい!というくらいに、見事に変貌を遂げた。子どもって、生み育ててみるものだなあ。

けど、イメージ的に、今の小中学校で義務付けられているようにPTAですよーとか、地域ボランティアですよーとか、首の名札か腕章でもつけていないと、子どもに接することは許されないような、そんな雰囲気がある。女性やお年寄りにでも、だ。

まして若い男性では!

美少女フィギュアやコミック、ギャルゲーなどを持ち歩き、「俺は子ども好き」と公言する息子。

彼はたしかに、けしからんロリ漫画などの愛好家でもあるが、純粋に子ども好きなのだという。実際、小学校の頃から低学年の子どもたちに人気があり、よく遊んであげていたという。周囲には危険視ばかりされているようだけど。

「俺は本当に子どもが好きだし、困っていれば当たり前に手を差し伸べたいと思う。けど、それができない現実もある」

そこだ。

あんな変態漫画を喜んで読んでいるような少年なんかうちの子に近づかないで!

という親御さんも多いと思う。残念ながら、今オタク率は非常にあがっているし、外見などによっては親切で声をかけたり、助けたりしても犯罪者扱いされてしまうことになりかねない。

もしも、小さな女の子が川でおぼれていたとする。

川と言うのは恐ろしいところで、それなりに泳ぎに自信がある人でも溺死の恐れがある。それを助けに行くのは大変に勇気がいることだ。

だが今、体力のある若い男性は別の意味で勇気を求められるかもしれない。

よしんば幼女を救い生還したとしても、昔なら英雄だろうが、今セクハラ扱いされて終わりじゃないかと。

別のニュースだが、困った女性を周囲にいた男性は誰一人助けなかった、最近の男性は情け無い、という話題に対し、ネットの男性たちは、「助けたらセクハラとか言うくせに」「男女平等の世の中で、男性に依存するのはおかしい」という反応だった。

「悪いけど、そういう事例で誰も助けてくれず、誰かが死ぬくらいじゃないと、この状態は変わらないと思う……誰かが犠牲にならないと、なんて…考えたくないけど」

息子は、結構真剣に、いもしない幼女が犠牲になることを想定して、涙ながらに訴えた。

息子が中学時代、本格的に不登校になった、クラスメイトの言葉というのは、今も本人の口から語られていない。

けど、息子がまだ幼かった頃……いつも個性的でいいね! 頭もいいし、楽しみだね! あたしファンだよっ! と言ってくれていたとある奥様が、とある痛ましい事件の話題の際に

「悪いけど、うちの娘が行方不明になったら、息子クンを疑うわw」

と冗談交じりに語ったあたり……。私も、ちょっといろいろ人間不信になり、少なくともその奥様とは疎遠になったあたり……きっと、そんな言葉を投げかけられたんじゃないかと思う。

そんな話題からあがった漫画。

「こういう時代だから。理想郷というのはおかしいけど、子どもたちとの関係が素晴らしく描かれているのが『よつばと!』だと思うんだ」

息子は小さな瞳を輝かせ、激しくヘッドバンキングで同意した。

「よつばと!」というのは、もともと同人誌の世界から出てきた作家・あずまきよひこの作品で、今もオタクでしょーロリでしょー、みたいな読者がいっぱいの雑誌で連載中のコミックだ。

前作の「あずまんが大王」ともども、そういう「萌え」漫画の世界にありながら、普遍的な魅力を持つ作家さんで、この「よつばと!」に関しては小さな子から高齢者まで、「漫画」の読み方が分かる人なら誰でもとりこにするくらいの力を秘めている。

よつばは、決してオトナに都合のいいコドモではない。

「とーちゃん」も、理想的な保護者かどうかはわからない。

教訓や、説教くさいところは何も無い。

皆それぞれに、よつばをおもしろがったり、からかったり、遊んであげたり、同レベルだったりで、いろいろな年代の人が関わる。

隣人の美人姉妹や親の関わり方、とーちゃんの友人の関わり方、ふとであった人たちの関わり方。全部違う。

自然児・よつばは日々いろいろな人の言動を吸収しながらすくすくと育つ。

昨日よりも今日のよつばは、少し成長している……

8巻のお祭りのシーンには、涙が止まらなかった。

これまでよつばに軽く関わった人々が少しずつ出てきて、それぞれに、地域の子どもたちを見守っているのだ。とくに自転車屋のお兄ちゃんがいいよなあ~♪初出の時もいい味を出していたけれど、こんなチャラチャラした風貌でも、どれだけ地域の子どもたちを暖かく見守っているか!

なんでこんなふうに、大人も子供もつきあえないんだろうか。

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コメント

これはホント、現実問題として切実ですよねえ。
私も以前、出身「幼稚園」から創立○○周年で寄付を求められて、実際に幼稚園に赴いたんですが...。
今どき、私の年代の“男性”が幼稚園にズカズカ入っていくだけで怪しまれる、と思って。
門のところで、大声で案内を頼みました(それも怪しいか)
私が子どもの頃の地元なんかだと、まだ地域との関わりが多かったんですがねえ...

投稿: まーく | 2008年10月31日 (金) 07時52分

まーくさん、ようこそ~!
女性でも、仕事で小学校とか伺うときに「わ、私はアヤシイ者ではありませんよっ」オーラを出しながらですが、男性だともっと大変ですよね。
本来は、親や先生だけでなく、色んな人と関わったほうが子どものためにいいと思うんですけど…

投稿: 闇鍋奉行 | 2008年10月31日 (金) 07時58分

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