どうなんだ、「夫婦別姓」
ブログネタ: あなたは“夫婦別姓”に賛成? 反対?
また恥を晒すようだが、私はかなり昔、この問題について新聞に投稿、採用された過去がある。
当時の私は「夫婦別姓」を主張。結婚を機に、特別な理由がなければ女性の姓を変えることになるために被る様々な不便、これまで生きてきた人生を否定されるような失望。そして姓を変えることによって仕事で出る支障。女性に課せられる、そんな不平等感に声を挙げたのだった。
当時は、女性を縛る「イエ」とか、結婚制度にも疑問を持っていたし、互いの信頼だけでも夫婦は成立するのではないかとか、姓が違うだけで家族の一体感が無いなんて、おかしいんじゃないかとか、お隣の韓国や中国では夫婦別姓当たり前、日本が珍しいんじゃないかとか、そのように思っていた。
私の人生は私のもの。舅や姑の機嫌を伺い、三界に家無しなんていう人生なんてまっぴらごめんだわ! と思っていたのだ。
が、今私は、夫はともかく、その母や義姉が大好きである。
結婚とは両性の合意に基づくものであり、男女の恋愛だけでも成り立つが、実際には多くの姻族との結びつきを生むことになる。
かなり偏った考えの私を温かく迎えてくれた義母一族のことは、当時も今も尊敬してやまないし、私をあまり好いていなかったような義父についても、今はただ謝りたく思う。
結婚とは、晴れて「子供を作ってよい」と認められることでもある。
生まれた子供は、自分たちのものだけでなく、また別の2組の男女の孫でもある。
おじやおば、いとこたち。たどっていけば婚姻によって結ばれる縁は無限大。
「そんなの関係無い。私は私」とそういう「縁」を嫌ってきた私だが、そういう考え方が日本を荒廃させてきたのではないかという思いも、今はある。
もしも自分が恐ろしいことをして、その名が世間に知れてしまったら、親兄弟はもちろん、どれだけの親戚を嘆かせ、恥をかかせ、実害を被らせるのか。
私自身は当時まったく気づいていなかったのだが、そういう意識がどこかにあったから、私は犯罪を犯そうとは思わなかったし、キレても何度も修正できた。「私は私、親戚なんか関係無い」と本気で思っていたらどうなっていたか。
何かにつけて、その縁の大切さ、重さを語ってくれた母に、感謝するしかない。
で、「夫婦別姓」だが、やりたい人はやればいいと思う。
昔と違い、働く女性も働くミセスも当たり前なので、「姓を変えない」ことにこだわる必要もあまりなさそうであるが、それでもどうしても、という人は別姓でもやればいい。
私は今の姓を昔の姓同様に誇りに思うし、両方のルーツを語ったり、調べたりするのも楽しい。自分のルーツが倍増したようなものだ。そして「家」という制度は、今では決して悪いものでもなかったかな、と思う。
…「かなこ」さんが「大場」さんと恋に落ちたり、
「まり」さんが「小田」さんと恋に落ちたりして結婚を断念せざるを得ないようなら、別姓も考えていいが。
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