努力って言っちゃいけない時だってある
未だに、皇太子妃殿下のご病状のことが気になって仕方がない。
回復に向けて、大変努力なさっているという雅子様。
それは素晴らしい…のだけど、雅子さまが努力されている、というのは主に公務や祭祀のことだ。
国民の幸福や豊穣を祈ったり、国民と喜びや悲しみを共有することに、どうしてそんな「努力」が必要なのだろうか??
災害があれば下賜金を与えたり、被災者を励ます。
恵まれない人や辛い思いをした人がいれば微笑みかけて話を聞き、その苦しみや悲しみを共有しながら癒し、励ます。
皇族にしか許されない場に入って、古式ゆかしい儀式にのっとり、祈る。
庶民には仕事や家庭があって、大災害があってもせいぜい募金するくらいしかできないし、テレビの前で涙するしかない。たまに神社仏閣にお参りに行っても、自分のことや国家安寧などを祈ることはできても、皇族のなさるような祈りはできないのだ。
今、私は会社員として働いているが、そうなるときれい事ばかり言っていられないことも多い。専業主婦時代は、つねにきれい事を言える立場だったが(いや、そういう存在も貴重なのだ)、とにかく金を稼がなくてはならない。自分の組織や商品を悪くは言えないし、理不尽なことに屈することも数多い。そんな毎日でも、常に公平無私の精神で、「正しい」行いをされる皇族の存在は、「軸」のようなもので、この軸がしっかりしている間は自分を見失うことが無い。そしてまた、思うのだ。
心正しい行いだけを生業にできるのは、幸福だろう、と。
私にとってはとても恵まれていると思えるお立場であり、誰にでもできるわけでないお仕事であるが、それを行うことに大変な努力が必要だと言う。
…その「努力」をしてなさったというわずかな公務の相手はどう思われるのだろう。
「そこに行くのは本当に大変でした」
「あなたの話を聞くのは大変でした」
「こんなに苦労して、いやい出てあげたんですよ」
そう言われているのも同然ではないか。
迎える側も大変な準備と経費が必要で、それでも他の皇族方がいらっしゃればその甲斐があると十分に思えるのに、渋々直前に出席を決められて大騒ぎでお迎えしたら、このお言葉かと。
何かのご出席報道に「高い関心があり」「強い希望で」と、わざわざ付け加えられるのは、皇族の中で雅子様だけである。そりゃそうだ、そんなことを言えば「欠席したところには関心も希望も無いのか」ということになってしまう。皇族は、自分があれが好きでこれは嫌い、などということは決して言ってはいけないし、そんなことは我々がご行動で推し量るしかないもの。また、それがあまり推し量られないよう行動されるのも皇族だ。
この文書、やはりほとんど雅子さまの文章だということらしい。
これから浮かび上がるのはどこまでも自分本位な人物像だ。公平無私とは程遠い。
「努力している」という言葉が誰かを傷つける、そういうところにまで気を配れないのだろう。
いずれにせよ、本当に頑張ってこられた雅子様にこれ以上、「努力」を強いるのは酷すぎる。そんな「努力」に煩わされることのない気軽な立場になって、のびのびとされればいかがだろうか。
「私的な海外訪問」は以前3億もの巨費をかけて行われたが、全く根本的な解決を見なかった。世界的不況の今、それを強行しても良い結果は生まないと思う。
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コメント
全く同感です。皆、生きる事は大変なのです。病気となると、だれも きつく言えないのでしょうが、我儘な事だけは、確かなようです。たとえ、途中で断念しても、公務への過程が見せられれば別かも知れませんが、このままで、許されるものでしょうか。完璧な公務は、一生無理ではないか?今は、大野医師が、診てるんでしょうが、問われますよ。このままなら、尊敬の気持ちが国民からなくなるでしょう。学歴も過去です。本人に甘えがなくならないと・・・・・
投稿: ちえ | 2010年2月11日 (木) 12時16分
ちえさん、ようこそ~!
雅子さまは、皇室と病気と言う二重の聖域に守られて、真の回復や、成長を阻まれている状態だと思います。お気の毒です。
ご本人のためにもならず、皇室にも国民にも、誰のためにもならない状態が続いていますね。大野医師も、最近は距離をおいているようなことが書かれてましたが、きちんとした医師の、ちゃんとした見解が出されることを望みます。
投稿: 闇鍋奉行 | 2010年2月11日 (木) 13時00分