学校と言う聖域
……不登校になった我が子を、送り迎えなどでサポートはわかるんだけど、教室で参観って…
息子が不登校になったのは中学からだが、実は幼稚園でも一苦労あった。
行きたくない、と泣きわめく息子を無理やり着替えさせ、さあ出かけようとすると、なぜか脱ぎたがりの娘が全裸で「裸のマハ」のごとく寝そべっている。それを着替えさせていると、息子も制服を脱いでいる。
ようやく子どもらに服を着せ、ぎゃんぎゃんわめく息子を引きずるように幼稚園に連れて行き、先生に渡す。
息子の泣き声が聞こえたら担任の先生が玄関までとんできてくださる。
「よろしくお願いします」
「はい、お預かりします」
これが毎日の習慣だった。迎えに行くと今度は「帰らない」と言い張る。何時間でも砂や、虫や、遊具についた錆をいじったり眺めたりして楽しんでいるのである。これにつきあって、また無理やり連れ帰る…もう、これだけでほとんどの気力体力を使い果たし、悩んでしまって無気力感にとらわれることになったのだが…それでも気をつけていたことはある。
朝息子を先生に託す時、絶対に笑顔を浮かべた。
私がそうしなければ、先生は自分が責められているように感じてしまっただろうし、息子だって幼稚園を楽しい所に思えないだろうと思ってのことだった。
息子は小学校はさほどいやがることもなく、とりあえず通えたが、もしもその時不適応を起こしたとしても、私は教室までは入らなかっただろうと思う。それがいじめが原因となれば、なおさらだ。
校門の向こうは、子どもたちと先生の世界。我が子にはいろいろあろうが、社会の縮図のような場所であり、そこでさまざまな波を乗り越える力をつけるためにある場所でもあるのだ。つまずいたなら送り迎えも必要かもしれない。でも、ママが守ってあげるのはここまで。あとは自分でなんとかしなさい、と送りだすのがひとつのけじめだろう。
どうしても、と昇降口まで、時には教室の前までということもあるかもしれない。
しかし、教室は、親が踏み込んではいけない最後の領域だと思う。
ここに保護者が入ることは、親が教師も児童たちも信用しないということ。それを我が子に伝えるようなものである。
あのお方は示威行為を行われただけだ、と見る。
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コメント
雅子様がご覧になられている(監視ともいう)授業…。
担任の先生がお気の毒です。
投稿: みりょこ | 2010年3月16日 (火) 19時29分
みりょこさん、ようこそ~!
お子様にもいい影響は与えないでしょうし、何より他者への配慮という視点がまったく感じられないんですよね…先生や児童達の方に病人や不登校が出ないかと心配です…。
投稿: 闇鍋奉行 | 2010年3月16日 (火) 20時07分
私も全く同感です。
gooのニュース畑にも書いたんですけど、学習院側は体を張ってでも、雅子を「どうか別室でお待ちください」と毅然とした態度をとるべきだったと思う。
愛子と同様に他の児童を守る責任があるのに、それを放棄した時点で教育者として失格だと思った。
だっていじめられたと言って大騒ぎになっている時に、その親が教室の後ろで見張っているんじゃ、どんな雰囲気だったのかと思う。
しかも4日も続けさせたと聞いて何と愚かな学校と雅子とあきれると言うか、開いた口がふさがらなかった。
そこまで他者や子供たちに思いやりを持てない皇族って何者?特権だけは享受して何も自己犠牲を払おうとしない、そんな人間は全く尊敬できないし、今回のことでそう思うようになった人も多いのではと思う。
しかも、これまでは医者が疲れが出るために続けての公務はできないと言い続けてきたんじゃなかったの?
それが疲れるどころか、緊張の極みの修羅場に4日も立て続けに居続けられるんだから並みの人間よりよっぽどタフじゃないの!
これだけの体力も気力もありながら、じゃなぜ手を振るだけの公務にさえ出ようとしなかった原因っていったい何?
自分の気力のわくことだけは疲れが出ないなんて都合がよすぎるし、添えを許している国民も人がよすぎるんじゃ?
もうそろそろ我がままにストップをかける時では?
国民の心が寄り添わないで皇室は成り立たないのでは。
投稿: アシュラ | 2010年4月 9日 (金) 02時50分
アシュラさん
新学期も、雅子様に伴われての車登校でしたね…
結局、式典には出られず、教室に…のようでしたが。
これからも毎日毎日、教室に御昼前後の1時間だけ一緒に登校されるんでしょうか。
あれー…「体調」は…?
私だったら、毎日学校で子どもを監視だなんて、肉体的にも精神的にも無理ですw
最近も、皇居奉仕団に参加された方の話題がありました。お忙しい天皇皇后両陛下は、お病気でも極力お顔を出してくださり20分ほど語られる。なのにどう考えてもお暇な東宮家ではほんの5~6分の語らいにも妃殿下が顔を出さない、それも同じ御所の中なのに!と。
そういう、妃殿下としてなさらなければならないことを放り出して、子どもの学校に入り浸る。これが、公人のなさることかと。
それと、このご行動は学校と子どもたちへの配慮だけでなく、愛子様に仕える養育係の顔も丸つぶれですよね。「あんたたちは使えない!」とアピールするようなものです。こういうときこそ、任せないと。
雅子様、誰とも信頼関係が築けていないようですね。…それは周囲が悪いのか、それとも…
投稿: 闇鍋奉行 | 2010年4月 9日 (金) 21時02分
ただ頭がよすぎたり、気が強すぎたり、何もかも人任せにはできず自分でやってしまう性質の人間ではなく、深刻な心の病がそうさせているのなら、そしてそのことはもう周知のことなのだから、誰かが雅子さんを愛子さんから引き離す役を買って出なければいけない時期にきてるのではないか。
皇太子妃としての自覚も自制心も持てなくなっているのなら、これから先もあらゆる問題を理解することはできないだろうし、悲劇の坂を転がり下りていく、そんな姿はあまりにも可哀想で見たくない。
雅子さん自身も今の境遇を離れて、サナトリウムのようなところで手厚い治療を受けなければならないのではないか?
周囲にいる人間にどうしてそう具申する人間がいないのだろう。受け入れるかどうかではなく、救い出してあげなければあまりにも非人間的ではないのか?
愛子問題が雅子さんの問題を照らし出すことになってほしいと思う次第だ。
夫たる皇太子が決断を下せないのなら天皇皇后しかいないのではないだろうか。
投稿: アシュラ | 2010年4月10日 (土) 01時37分
アシュラさん
これまでは、雅子様は頭が良すぎ、何でも自分でやりたがる、と割と良いように語られてましたけれど、愛子様の状態を考えると…また、雅子様の状態をこれほど見せつけられると、一刻も早く親子を離し、それぞれに適切なカウンセリングや療養が必要ではと思います。
そして、本来のご性質か病気のせいかはともかく、常識では測れない言動をなさる危険な状態にあるのは事実なので、一刻も早く「皇太子妃」の地位だけでも見直さないといけませんよ。
投稿: 闇鍋奉行 | 2010年4月10日 (土) 11時26分