美輪明弘様を拝しました
子どもの頃から、『一度は拝みたい』と思う人の一人である美輪明弘様のコンサートに行ってきた。
…実は、美輪様をひょんなところで拝してしまったことがある。10年くらい前、なんと、上野の科学博物館のエスカレーターですれ違ったのだ。圧倒的な存在感に居合わせた人誰もが息を呑んだ。
しかし今宵は、生ヨイトマケである。
「聞くとお行儀が良くなる」(激しく同意!)とおっしゃる昭和の唱歌から始まり、第一部は社会派・美輪明弘オンステージ。真っ赤な日本列島の地球を背に、日本の文化を高らかに誇りつつも、あの戦争時の軍事政権へ、社会のひずみへの怒りを謳う!歌う。
「従軍慰安婦」を実際に体験した人との交流から作った歌「祖国と女達」は、まさに鬼気迫るものだった。
シンプルな舞台ながら、美輪様はまさに変幻自在。男も女も、年齢も超えて演じきる、一曲ごとが「一人芝居」。舞台が暗転すると、一体何人の人間がいるのかというくらい、声の演技がすごい。
目ゴシゴシ
「見える…見えるわ…愛しい恋人がつれない表情で去っていくのが…命からがら帰ってきた故郷でつばを吐く家族が……」
本物の芸術だ。
やはり、一生に一度は拝むべきである。美輪様も人間であり、いずれまた転生して次のはるかに高いステージに行かれることもそう遠くないので、この歌唱力、思想、演技力、お笑いに触れる機会があらば、ふれるべきだ。無理して行った甲斐があった~~~!
有名な、放送禁止の憂き目にあった名曲「ヨイトマケの唄」も、……いやあもう、しみじみ。
モデルは、美輪様の幼い頃の友人。貧しく、勉強も出来ないのでいつもいじめにあっていた。
その母親は、その子を育てるために、小柄で足が少し不自由なのにも関わらず、
「地ならし」をする土方の仕事に就いていた。
女性だからといって容赦は無い重労働の世界。腕力もなく、足も不自由だなんて、言い訳にもならない。
その子はいじめにあって「もう学校に行きたくない」という気持ちで、母親の働く現場を訪れた。
その子が目にしたのは、非力な母親が「この役立たず!」などとののしられる場面。
すいません、すいません、と頭を下げまくる母親の姿だ。
しかし母親は我が子に気づくと「大丈夫」というような笑顔で応えた。
いじめられてつらい、学校なんか行きたくない……
そんな気持ちだった子は、学校から逃げる気が一切失せ、
辛いことから逃げず、しっかり勉強しようと…
そして高校、大学と学びエンジニアになり、今は亡き、苦労し通しの母に…
私、まったく気づいていなかったけど、何かこの唄に影響されていたのかもしれない。
今の職場も、最初は私を排斥の方向にあった。
前の職場もだけどw…でも、ここでがんばらないとダメだ、という信念で、
必死でしがみついた。
トラブルの一切を、全部私のせいにされたこともある。
私は人一倍きちんと処理したのに、私の受注した件で、取り違えがあったのだ。
「これはどういうことなの!いい加減、辞めなさいよ!」という
上司の声を覚えている。何度も、辞職勧告したのに辞めない女を、
なんとしても追い出したかったのだと思う。
しかし、私はいろいろ至らない部分もあったが、この件に関しては青天の霹靂。
ちゃんと処理しているのに、そのあとでミスがあったとしか。
「はあ?サイテー!自分のミスを他の人のせいにするわけ?www
みんな聞いた~?www」
とまで言われた。
コミュニケーション能力がとことん乏しく、たしかにこれまでいろいろなポカをしたし、
通常ありえないミスもしてしまったことは否めない。
当時与えられた壊れたPCも、私を「PCも使えない人」に仕立て上げた。
けど、この件は違う!
「私は、この件を取り違えないように、きちんと確認し、表記しています。
この台帳にも、それが残っています」
と訴えた。そして、この受注でどこを間違えやすいか、私は理路整然と分析した上で
間違えないように発注を受け、それを明記したのだ。
誰が見ても明らかなのに、なぜ私が責められる?
私はここまでしっかり情報を得て、それを間違えないように、
他の誰よりも丁寧に指示書に書き込んでいる。
なんで責められるのか。全責任を負わなくてはいけないのか。
「……これは私のミスです」
と、とうとう私の追い出し裁判に立ち会っていた同僚が口を開いた。
大人の世界にも、当然「いじめ」はある。
それが雇用主の指示であるだけに、学校なんかより厳しい。
「こいつを辞めさせちゃえ☆解雇するとお金かかるんで、本人に希望させるように」
なんで。はっきり言って、10歳以下のいじめとやらにああだこうだと騒ぐ
東宮ご一家には、愛子様をまともな人間に育てる気持ちが
おありなのかと思う。
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