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2010年11月29日 (月)

1300年前に学ぶ

天平九年十二月丙寅、皇太夫人藤原宮子は突然、異母妹の光明皇后宮を訪ねた。

出産以来36年も精神的な病のため宮の奥深くにこもり、子どもにさえ会っていなかったという気鬱の女性である。

また、その子どもである聖武天皇も、この日皇后宮を訪ねていた。

この日宮子は僧正玄昉と引見。目が合っただけでたちまち目が覚めるかのごとく気分が晴れ、病が快癒。めでたく我が子聖武天皇との面会を果たしたのである。

……なんと都合のよい「精神病」か、と思う。

このとき彼女はどういう立場だったか。
不比等の娘として文武天皇の妻となり、首親王を出産。
36年の療養生活のなか、我が子は史上初の「母親が皇族でない」身ながら天皇に即位。
その年、自分の称号について、我が子や兄弟が「大夫人」としようとしたが、長屋王らの反対により「皇太夫人」、口頭では「大御祖(おおみおや)」という新しい称号を得ることとなった。臣下の出身でありながら、我が子を天皇とし、畏れ多い称号も得た。
その長屋王も、藤原四兄弟が滅ぼさせた。
藤原一族の長娥子の子らだけを残し、すべて「自害」させたのだ。

もはや我が一族に対抗するものはいない。

…が、この年、藤原四兄弟が疫病で次々に亡くなるという事件が起きていた。
明らかに正当だった長屋王のたたりだと、人々は畏れた。
口さがない人々の口を封じるためにも、我が子・聖武天皇(皇族以外の女性の子である天皇)と、妹・光明皇后(史上初の皇族以外の皇后)の正統性を演出しなくてはいけない。


それで、突然の「奇跡」が演じられたのだろう。

信心深く孝養を尽くす聖武天皇が、僧正の霊験を得て母の病を治し、生まれてから会うことも適わなかった大御祖との感動的な対面を果たした。
神仏の力は、この血統にあるのだ、と。

藤原宮子については詳しい記録も無いようだが、こんな「奇跡」が平気で起こせる都合のよい病気だったのだろうと思う。

自分の子が天皇になれば治る
皇后になれば治る

……という、現代の「宮子」を、見ているから。

☆ ☆ ☆

今日発売の「女性自身」は、渾身の「雅子様のご希望」号。
ウイリアム王子の結婚式に出なくては! 愛子様を天皇に!

……雅子様は日ごろは、皇居奉仕団に挨拶することさえおできでない。
今年10月には、愛子様と江戸川区スポーツセンターを貸切にして(本来の利用者である区民を完全排除して)、ほんの数十キロ先で行われた千葉県の全国障害者スポーツ大会開会式の出席を見合わされたほどのまことにおいたわしい「重病人」である。
それについての東宮大夫の見解は「都区外での公務は負担が大きく…」だったが、まさにその直後、都内どころかほんのご近所である明治神宮参拝も理由なくご欠席。

ええと、国民や障害者や、皇祖を蔑ろにしていらっしゃるわけでは、ないんですよね???
「お病気」なんですよね????

ならば、完全にお病気が癒えて皇太子妃の務めを果たし、皇后としての心構えをしっかり身におつけになるまでは、しっかりとご療養なさるべき。
プロトコルの面でも、この結婚式ご臨席は、あいませんから。

それと、愛子様を天皇に、という主張の書き手の面々、しっかりと記憶しておくべき。
いずれも根底にあるのは……

約1300年前、おビョーキの皇太夫人と、才色兼備の皇后が、いかに世論を操作する役割を果たしたか。
そうして生まれた女性が天皇となり、どうなったか。

小林よしのりは愛子女帝論を展開する中で女性天皇をひたすら礼賛していたが、一番肝心のこの女性天皇にはろくに触れないまま、また多くの人の質問や指摘には答えないまま、勝手に勝利宣言して天皇論を完結させたようだが……

称徳天皇が何をしようとしたのか、天皇の「女系」を乗っ取った藤原氏でさえ恐れたことは何か。
有名な和気清麻呂事件のことは。
その事件直後、なぜ彼女は病に倒れ、そのうえ祈祷もされなかったのか。
そしてその後江戸時代まで「女性天皇」が封印されたのはなぜか。
和気清麻呂像が、今も皇居を守護するようにあるのはなぜか。
すでに1300年前、女系を乗っ取られている天皇が、
21世紀に男系も乗っ取られたら、果たしてそれは天皇といえるのか。

これを描かなきゃ、「天皇論」は完結しないと思うのだが……

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