« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月25日 (金)

女性宮家とは何か

皇室関係の話題が週刊誌で凄まじく盛り上がる。

そのタイミングで、羽毛田宮内庁長官が皇族の減少について語り、一部メディアが、女性宮家や女性天皇をほのめかした。

このブログでも「天上の虹」や「女帝エカテリーナ」などについて熱く語った女帝スキーな私が言う。

女性宮家も、女性天皇もありえない。

何度か私は雅子さまにシンパシーを感じていたと書いたが、まさに四半世紀ほど前、私は自分が世の中に受け入れられない原因のひとつとして、「女性差別」があると考えていた。
だから、キャリアウーマンだという、しかも幼少時のエピソードが自分と似る小和田雅子さんのサクセスに期待したし、一時は愛子さまの即位も期待した。

それを正当化したくて、結構天皇関係の本を読んだものである。

思えば、戦後生まれの私は、「天皇」を知らなかった。
というか、当時は、天皇=悪であったし、階級社会にも、政略結婚にも、批判的なのが主流だった。少女漫画ではウーマンリブが叫ばれていたし、自由な恋愛結婚こそが正義のように描かれていた。
天皇は独裁者であり、戦争の責任者であり、日の丸を掲げたり神社で柏手をうつなど現代日本人ではない、というくらいの空気で育った。差別の根源は天皇だ、女性が天皇になれないのはおかしい…そういう時代だったのだ。

が、日本の歴史はそういうものではなかった。

たしかに、10代8人の女性天皇は総じて聡明であられる。数多の男性天皇よりも「偏差値」は上だと思ってしまう。
が、そんな能力やお志を考えても、男女の性差は覆せない。
産む性と産ませる性は、やはり違う。
女性は、生理にせよ出産にせよ、大変な痛みとリスクを伴う。天皇家は、血の継承が大切なので、もしも女性天皇がそのリスクと、祭祀を両立させようとしたら…これは大変だ。

昔の天皇は祭祀をして子作りをしていればよかったりもしたが、今の天皇は数々の公務に国際親善もしなければならない。それに出産も加わる?????
どんだけ頑張らなきゃいけないのか。

それが、果たして男女平等と言えるのか。

そして、皇統というのは父系を辿れば神の子孫に行き着く、という血統の人間が祭祀権を持つ、というもの。
領地の統治権をやり取りする欧州の王権とはまったく違う次元のものだ。

そして、その「権利」を問う事件はいくつもあるのだが、そのいずれも「男系」を最上の条件として確認するしかない。

今、皇族不足だ! と言われても驚くことはない。
過去にはもっと深刻な状況もあった。後継者たる男子皇族がゼロ!という事態だ。
そんな時でも、女性皇族を天皇にして、その子を…という選択をしてこなかった。
基本的に、女性皇族の配偶者は男性皇族に限られていた時代が、実は前世紀まで続いていた。

落ちても、摂関家クラスの有力公家への降嫁であって、皇女和宮が徳川家に下るのを嫌悪したのでもわかるように、そんな征夷大将軍風情に嫁ぐなど、内親王の恥。古代においては皇族女性は皇族の子を生む役割が第一で、運命によっては生涯独身で天皇や斎宮という重い位を守ることになったのだ。

女性皇族が天皇にならない時代になって、初めて皇族に生まれた女性が平民でも配偶者に選んで気楽な立場に降りられることが推奨される時代になった。その自由度は広がったと言えるだろう。

もしも現代に女性天皇や、女性宮家が立つとしたら、大きな問題は配偶者のことだ。

どんなに時代が変わっても、「父系を辿れば神の子孫」という大原則は変わらなかった。

そんなんどーでもいいや、と、千年以上継がれてきた世界的にも稀有な王朝を終わらせるのか?

配偶者を男系を継ぐ男性に限り、なんとか継ぐのか…って、そんな男性がいるのなら、その人を天皇にすればいい。過去、遠い傍系から天皇を迎える際には内親王と婚姻させたことが二度あるが、そんな時でも、内親王を天王に、という選択はしてこなかったのだ。

直系を優先してはいても、それが絶えれば女系よりも傍系男系を選ぶ。

そういう選択を繰り返してきたのが、日本の朝廷の歴史である。


女性宮家を言う人たちは、皇統の護持を考えるのではなく、「公務をする皇族がいなくなる」「一般参賀に、将来悠仁殿下しかいなくなるかもしれない」などと言う。

公務のために、皇族があるのではない。
式典やイベントに飾る盆栽やゆるキャラとは違うものだ。
まして、一般参賀要員でもない。

宮家をむやみに増やしても本末転倒。女性皇族が平民男性を選んだ場合、その配偶者や子供はどういう扱いになるのか。
万一その女性が早世した場合、「女性宮家」の夫や子はどうなるのか。

禍根を残すばかりになりそうだ。


さて、昔あれほど男女平等男女平等と騒いでいた私だが、
雅子さまを拝見して、自らを省みず他のせいにすることの愚かさを学んだ。
まさに紀子様タイプの卒なくなんでもできる社会性の高い女性に嫉妬した時もあったが、妬むのは筋違い。
本物の高い能力というものは、紀子様のように素直に指示に従い、確実に結果を出し、対人関係を円滑にできることなのだ。
そして、高い能力を持ちながら、素晴らしい所作で夫を敬い、恭しくたてる姿をお見せの美智子皇后陛下だが、彼女こそ真の男女平等の体現者であった。
相互の信頼と敬愛による紐帯、とは昭和天皇のいわゆる「人間宣言」であるが、夫婦というのも、いや親子でも友人でも同じことだろう。
両陛下の仲睦まじいお姿に、相互の信頼と敬愛を感じられるし、共に励まし合い支え合うお姿は、まさに現代の理想の男女関係だ。

祭祀にも熱心に挑まれる皇后陛下は、白い十二単を召されて赴かれる。

江戸時代に立たれた女帝が、この装束を考案されたのだ。

| | コメント (10)

2011年11月21日 (月)

デヴィ夫人、少し落ち着いて…

若きブータン国王御夫妻の新婚旅行、まことに素晴らしく、日本人が失いかけていたものを思い出させてくれたような心地で、子どもらと語り合った。

明治時代、日本はまだ年若い帝と、小柄で出産は望めないが聡明なことこのうえない皇后が、この国を守っていた。
極東の小さな島国、と侮る歴々は、この天皇皇后と、高い技術力・労働力・順応力に優れた国民に驚くことになる。

決して裕福とは言い難い国が「高貴」そのものを見せてくださった……

訪問先の子どもたちが、本当に感動している様子に涙が出た。

……さて。

我が国の皇室もいろいろあった。
陛下のご病状は安定、回復の傾向にあり、何より。
我らが雅子さまは…まったくぶれずに、我が道を突っ走って行かれているようである。

…もう、愛子さまを、盾や杖に使わないでいただきたい…

この数箇月あまりに腹だたしく、もはや日記も書けなかった。私の中からとんでもない暴言が飛び出してしまいそうで。

少し落ち着いて、ちょっと書く。

あの校外学習は、異常というよりほかはない。
震災のため例年と違う行き先に…はわかる。
が、例年使われていたと思われる宿は、1泊7~8000円程度の、まあ常識的な宿のようだが、「雅子さまご同伴の可能性」で選ばれた宿は、1泊5万円が普通というホテルだった。

…皇族や華族が通うことで知られる学習院で、今も裕福な子が通っていることとは思うが…学習院の教育方針はむしろ質実剛健。そんな御子様方も自立心をもち、国を支える人材になるように育てる、というようなものだ。
今の皇太子殿下も、初等科の校外学習では布団の上げ下ろしからされていたというし、そこで集団食中毒事件が起きたときも、美智子さまは現地に行かれることなく、宿や、代表として赴いた母親たちに信頼を示された。

皇太子妃

というほどの重い地位にあれば、たとえ自分の子どものことであっても軽々しく動くものではない。

校外学習という性格を考えても、たとえ子どもに不安があってもついていくようなものではない。

が、それを実行し、大変にご機嫌なご様子で山歩きや洞窟めぐりを満喫、宿ではインペリアルスイートで特別懐石に舌鼓…と、本末転倒な校外学習を楽しまれた。

その奇行に寄せられた批判的な声に雅子さまは傷つき、またも被害者意識を示されて、さらには小町東宮大夫に「あのご同行は、愛子さまのご希望でした」と言わせる始末。

子どもがそう言うから~ですませるか。


今の東宮には、「まともな大人」がいないと見える。
警備費だけで3000万はくだらないというし、高級ホテルを貸し切る金額なんて、私には想像もつかない。
愛子さまにも未来はあるだろうが、他の児童にも未来があるし、学校生活でいろいろ学ぶ権利がある。
それを台無しにし、血税を浪費し、震災の日本でどこの自治体も負担が多いというこの時に人的・金銭的に負担を与えての「雅子さまの豪遊」の責任を、小学4年生の愛子さまになすりつけるとは。

では、その責任を愛子さまが負うのか?
弁償なり、謝罪会見なりを求めろというのか??

できないだろう。

できないとみているから、無力な、…御自分の意思もちゃんと表現できない愛子さまになすりつけた。

これを「卑劣」と言わないでどうするのだ。

そのあとの、愛子様ご入院についてももう、怒り心頭!


(cool down)

デヴィ夫人が、廃太子についての署名を始めたと、話題になっている。
私も、この現状を鑑みるに廃妃、廃太子しか解決策はないと思っているが、完全に夫人に同意できるわけではなく、その勇気に敬意を払うが署名は見送っている。

…少なくとも、秋篠宮殿下の名を出すべきではなかった。

雅子様の情報操作により、何かと悪者にされている秋篠宮家であるが、あそこほど、東宮家をしっかり支えておられる方々もいない。
それは、愛子さまが秋篠宮家の方々の協力で、ようやく自然な笑顔を見せられることでもわかると思う。

が、あのような文面での署名活動では、秋篠宮殿下を「オルレアン公」に仕立てかねない。
それでは、何も解決しないのだ。

| | コメント (16)

2011年11月 4日 (金)

母子でorz

昨日は文化の日。

珍しく早起きしてきた息子と、なんとなくテレビの「スッキリ!」を見ていた。

祝日ということもあって、人気子役の芦田愛菜ちゃんが登場、デビュー曲のプロモーションで、スッキリキャストたちに振り付け指導をし、ダンサーたちを従えて歌い踊るという構成だった。

ああ、二人して顔がほころぶ。

なんという可愛さ、聡明さ!
幼稚園のころに、虐待を受ける小学生の役を見事に演じ、その後も大驀進の活躍。
そして調子に乗って歌手デビュー、なんていうのはよくあることだけど、本気で歌がうまく、卓越した表現力で文句のつけようがない。
大人に振り付けを指導するシーンも、本物の振付師のようだ。というか、カップリング曲は、本人が振り付けをしている。

演技よし、歌よし、踊りよし。

何よりこの子の聡明さは、会話でわかる。
まことに隅々まで配慮できた、当意即妙な受け答えをする。
かわいこぶりっこでも、優等生ぶりっこでもなく、こまっしゃくれても媚びてもいない。
まったく厭味なく「この子、本当に賢いねえ!」と思わせてしまう。
自分の位置や、求められる役割を、完全に理解しているのだ。

「俺は、まなちゃんなんて呼べねえ…まなさんと呼んでしまいそうだ…」
息子も絶賛。二人ですごいねえ、えらいねえ、と絶賛した。
…しばらくして、息子がつぶやいた。
「…ところで、愛子さまって、いくつだっけ…?」

ああ、それを言うな。
よく、愛子さま関係を語るのに、加藤清史郎君や芦田愛菜ちゃんと比べてどうこう言う人がいるが、あんな有能で聡明な天才子役たちと比べられたら、大抵の子がかわいそうだ。
愛子さまは、愛子さまのペースで、ご自身の問題に取り組まれるべきで、誰と比べてどうこうということではない。

という話をしたら、
「俺だってかわいそうだ…」とorzしている。
「俺はこの年でもあの子に勝てる気がしない」

ああ~~~まったくだ。
というか、私もかわいそうな子になってしまうw
今だって、この子に勝てることなんかあるんだろうかと。
この子の100分の1でも空気が読めたら私も苦労はしないだろうし、人生もずいぶん違っただろう。

二人して空気が読めずマイウエイを突っ走ってしまうアスペ体質。
自分では悪気は全くないのだが、何せ自分しか見えないので人を不用意に傷つけたり、とんちんかんな受け答えをしたりで、いくら物知りでお勉強ができてもこれじゃあねえ……と人に嫌われっぱなし。
自分でもそれは頭でわかっていても、どうしていいかわからない。
劣等感からだんだん自分の世界にこもるけれど、それも「優越感にひたってる」とか言われるし。
で、自分とは真逆の、空気が読めて可愛がられるタイプの人に嫉妬して…なんていう人生を歩んできたが

もはや嫉妬する気も起きないくらい、まなちゃんは賢く、正しい。

「まあ、この子が潰されないように祈るわー」と息子。
うん、たしかに忙しすぎるよね……
芸能界なんて、持ち上げて、落とすという世界だし。

☆  ☆  ☆

この日は、秋篠宮家の悠仁殿下の「着袴の儀」が行われた。
まことにお健やかで躾の行き届いた、素直な悠仁殿下の笑顔にまたまた顔がほころんだ。

| | コメント (2)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »