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2013年2月22日 (金)

「聲の形」を読んで

今週の週刊少年マガジンで、読みきりの「聾の形」が話題だというので、読んでみた。

普通の小学校に、西宮という美少女が転校してくる。
彼女は聾唖の障害を持ち、コミュニケーションは筆談で行わなくてはいけない。

やがて彼女の行動に同級生も教師も不満を持ち、それは陰湿ないじめに発展。
主人公の少年はその先鋒であったのだが……
週マガは、時々こういう啓蒙漫画を載せる。以前、アスペルガーを扱った「十五の夜」について感想をここに書いたのを思い出す。

あの作品よりは、問題の本質に迫った、と思った。

障害者が社会で普通に生活するためには、相互の理解が必要なのだ。

「十五の夜」では、奇怪な行動をして嫌われ、孤立してしまう主人公を、「彼はアスペルガー症候群という障害をもっているのです」の一言で他の子たちが理解し、温かく迎えてあげていたが、実際にはそこからが物語りの始まりだろう、と思った。
障害があるというのなら、そういう専門のところに行って

というのが、普通の人の反応。

アスペルガーなどの発達障害は、程度にもよるが、福祉の対象にならず、専門的な教育を受ける機会もなく、一般社会で「嫌われ者」になりがち、というのが問題なのだ。

西宮さんは知能に問題はなく、親が希望したのか、聾唖学校に行くまでも無いと判断されたのか描かれていないが、普通の学校にやってきた。
先生の話に反応せず、言葉は不明瞭で、ノートでの筆談でだけコミュニケーションがとれるという。
驚いたが、それを受け入れた健常児たち。
しかし、西宮さんは、授業中先生の話が聞き取れないとノートで「今何を言ったのか教えて」と周囲の子たちに聞く。
教科書を読むというのも、他の子たちと同じ様に順番がまわってくる。
不明瞭な言葉に笑いをこらえ、物まねをする子も出てくるが、聞こえない彼女にはわからない。
合唱コンクールで常勝だというこの学校、音程がとれずまともに歌えない彼女は、級友が手を握り、音程を手の高さで伝えて支えたが、入賞を逃してしまう。
そこから、彼女への容赦ない攻撃が始まる。黒板に書かれた文字で、ようやく彼女は、自分がいじめの標的であると知る……

☆ ☆ ☆

これを読んで、「差別やいじめはよくない」というありがちな感想を持つことはないだろう。

なんの配慮もなく障害者を一般社会に入れたらこうなる、健常者は、こんなに我慢している、という怒りさえ感じた。いじめる側の視点で描かれたというのもよかった。なぜトラブルが起こり、何にいらついていじめという暴力に発展するのかが見所だ。
授業中に「今、先生何を言ったの?」というようなことを聞いてまわるのは、障害の有無に関わらず、非常識で迷惑な行動だ。
それを筆談で教えて、となると、相手が授業についていけなくなるくらいの負担になる。
そういうことをしてはいけない、と誰も教えないし、「障害」という大義名分の前に、級友たちも本音を言えない。

障害を盾に、……本人も悪気は無く、これまで当然のように守られて、甘やかされ、周りが支えてくれて当然、同じ様に社会生活を送って当然、と考え、行動してきたのだろう。

それが、大きな暴力に発展してしまう。


障害者の社会参画は、相互の理解と配慮が必要なのだ。

一方的に理解と配慮を求める限り、差別やいじめはなくならないだろう。

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