脱・雅子様
今日は雅子様のお誕生日
…でも、なぜかおめでとうございますの言葉が出ない。
こんな状態で51歳になられて、何がめでたいのだろうか。
個人ブログなのに雅子様について書く事が多く、多くの方に来ていただいているけれど、自分は、雅子様が嫌いなのではなく、むしろ自分ほど雅子様を好きな人もいないのではと思うほどだ。
子どもにも「好きだねえ、雅子様w」と笑われるほど。
というのも、世はフェミニズムの時代に社会に出て、「ああ、なんで女性だからといって差別されるのだろう、なんて日本は狭いのだろう」と沸々としていた自分にとって、「帰国子女で高学歴で初の女性首相もありえる!」と喧伝された小和田雅子さんは、まさに憧れの存在。しかも、幼少時のエピソードなどが自分によく似ていたこともあり、雅子様が社会的に成功すれば自分も報われるような、強いシンパシーを感じていたのだ。
…ネットで、雅子様の批判を見たときにはショックとともに、なぜ自分がダメなのか、よくわかった。
要は、自分は雅子様と同レベルのどうしようもない人格だったということ。
あたしはこんなにデキルのに、なんで認めてくれないの、男ばかりにいい仕事が行くの、なんであんな可愛いだけの女の子ばかりもてはやされるの…って当たり前だったのだ。
自己主張ばかり強くて人のことに配慮もできず、人付き合いがまるでできない人間に、チャンスなんかないのだ。
まして、それを差別のせいだ、男に媚びる可愛い系の女のせいだ、などと転嫁するような痛い女に、仕事ができるはずがない。
自分がなんで何をやってもうまくいかないのか、雅子様を見て気づいたのだ。
自分は底辺のど庶民で、ふてくされて寝転んでいたらいずれ誰からも見放され餓死する運命だから、そのことに気がつけた。
だけど皇太子妃という立場で、女官などもイエスマンばかり、どこから金が出るのかメディアには「雅子様おかわいそう、皇室が悪い!」と書かせる環境なので、雅子様は自分の何がいけないのかまったく気づくことはない。
51歳で、皇太子妃として学び身につけたことは何もなく、子どもの弁当作りひとつ満足にできず、間違いだらけの育児で子どもはどんどんおかしくなっていき、夫も評判ががた落ち、慌てて伊勢参拝やらして点数を稼ごうとしても、すっかり見透かされていて、誕生日に寄せる感想文や医師団見解文で自画自賛して見せても白々しい……
もう、雅子さんの嘘は通用しませんよ…
痛々しくて見ていられない。
まだ、私のような馬鹿な国民が騙されていると思っておいでなんだろうか。
こんな51歳にならないように、また自分を戒め、社会に臨んでいこう……と思った。
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