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2018年6月21日 (木)

我が家のデーヴァセーナ

私と息子は、最近ガルパンから、「バーフバリ」に凝っている。

空前絶後、という言葉が全然オーバーではない面白すぎるインド映画である。
http://baahubali-movie.com/
古代インドの架空の国・マヒシュマティの王位継承を巡る物語。
神のごとく完璧で民に愛される前国王の王子アマレンドラ・バーフバリと、国母の実子で民に恐れられるバラーラデーヴァの魅力、国母シヴァガミの公明正大さ、両王子に惚れられる小国クンタラの王女デーヴァセーナの気高さ、不可触民でありながら王家に忠誠を誓い、絶大な信頼を得ている最強の老戦士カッタッパなど、見どころ満載で、息子ともいろいろ盛り上がる。

が、息子は言う。

「デーヴァセーナ、あれはダメだ」

確かに、デーヴァセーナは正し過ぎ、気高すぎ。

大国の国母にも恐れず直球で逆らい、正論を通そうとする。

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正論は、時に身を滅ぼす。

結局彼女は、バラーラデーヴァの策に次々嵌り、愛する夫を窮地に追い込み、何もかも失うはめになる。

ただ、世界中で上映される国際版だと彼女の過激さ、高慢さばかりが印象に残るのだが、今日本で上映されている完全版…というかインド上映版を観ると、ずいぶん印象が変わる。

本当に、デーヴァセーナは気高く美しく、正しく、そして可愛いのだ!

王族としての矜持が、シヴァガミやバーフバリと共通している。

正しい道を疑わず、例え誰であろうと正義を通す一方、弱き民には優しいのだ。

どこの馬の骨ともしれない男に情けをかけて雇ってあげ、武芸の一つでも仕込んでやろうと思ったら、隠してはいるがただものではないのを見抜く洞察力。
それでも正体を明かさない男に、公然と恋心を歌う…
インド版では、身分も権力も、能力さえわからない男を尊重する王女の姿がはっきりと描かれ、またなぜ王女が「マヒシュマティの王子との縁談」に激怒したのかがよくわかるようになっている。

彼女は決して、高慢でも無能でもない。
バラーラデーヴァの陰謀が無ければ、大使が無能でなければ、何もかも丸く収まっていただろうに…

だから完全版見ろよ、というのだけど、息子は頑として聞かない…

で、思い出したのが彼の高校時代だ。

いろいろあってお世話になった高校で、最初は随分かわいがってもらったのだけど、いろいろと軋轢が起きてしまった。

息子の話を聞けば、確かに息子は正しく、教師よりも優れているとは思った。

だが、その言い方ややり方は無い。

教師の体面を潰したらいかん。
正しい事なんか、言ったらいかん。
まず相手を尊重していかないとやっていけないよ?と助言したら、私はボコボコにされた。

で、結局教師に憎まれ、学校に危険人物認定され、進路が断たれた息子。

あれから数年。

なんだよ

わかってるんじゃんw


もうちょっと下手に出れば、もうちょっと相手に可愛がられつつ話を進めれば、良い結果になった。

今の息子は、バラーラデーヴァを政治家として買っている。

彼は絶対権力者である母の前では良い子を演じてまんまと王位を奪い、根回しをしてその母すら追い落とし矢を放ち、暴君として立ちあがったバラーラデーヴァ。

バーフバリは、政争など縁のない、善良で愛に満ちた象徴的な王。

バラーラデーヴァは政争に長け、力で民をねじ伏せる王。

デーヴァセーナは、力と正論と慈愛に満ちた次期国母。

それぞれに面白いキャラクターだけど、息子が正論で滅んだデーヴァセーナから、バラーラデーヴァに移行しているのは、ある種「成長」だと思う。

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