「女帝の世紀」が女性皇族の凋落を招いた
女性皇族(男系女子)の血統は女性最高である。
かつては、皇后はもちろん、天皇を産むのも皇女の特権であった。
今は…
☆ ☆ ☆
何時の時代も、天皇が「自身の子」に拘ると碌な事がない。
天智天皇が、当時だと継承権に欠ける大友皇子に皇位継承したおかげで壬申の乱が起き、大友皇子は自害するはめになった。
その娘である持統天皇も、自分の子である草壁皇子の即位に拘ったばかりに、甥の大津皇子刑死、妻で持統天皇の妹でもある山辺皇女の自害を招いた。
結局、大友皇子の遺児である葛野王の提言により、天皇皇后の子である草壁皇子こそ正統、その直系が皇位を継ぐべし、という事になった。
が、歴代天皇でも最強クラスの有能さと強靭な心身を持つ持統天皇ではあるが、その子草壁皇子も、さらにその子文武天皇も、さほど才覚優れるとも思われず、短命であった。
殊に、文武天皇は、本来皇后に相応しい皇女を娶る事も(諸説はある)、当然子を儲ける事もなく、ただ藤原宮子が産んだ首(おびと)皇子だけが皇位継承者という事になった。
天武天皇にはいくらも血筋正しい皇子とその子がいたし、天智天皇の子孫にもいた。
が、それらに皇位を渡すわけにはいかない、というのがこの時代の「直系」への拘り。
その為に、持統天皇の妹で従姉妹、草壁皇子の妃で文武天皇の母である阿閉皇女が即位。
元明天皇となる。
が、疲れたとのことで、娘の氷高皇女に譲位。
元正天皇である。
この母から娘への継承を「女系継承だ」と誤った認識の人が見られるが、まったく血統は変わらず神武天皇の直系子孫から直系子孫への男系継承である。
史上初の未婚の女性天皇であるが、これまでの既婚女性天皇が自身の子や孫に確実に皇位を渡すというメリットがあったのに、才色兼備で知られた元正天皇は、甥に皇位を渡すために、一生を捧げたのである。
そして、母が藤原宮子という異例の天皇・聖武天皇が立つ。
かつて、天武天皇の第一子である高市皇子は、卑母であるために皇位とは縁遠かった。
しかし、御名部皇女という素晴らしい血統の女性を妻にしたので、その子長屋王は王であっても血筋正しい。
更に長屋王は、元明天皇の娘・吉備内親王を得ていた。
臣下を母とする聖武天皇と、両親とも皇族、しかも草壁皇子と元明天皇の娘であり、文武天皇の姉妹である吉備内親王の子。
どちらが正統なのか。
日本を男尊女卑などという輩もいるが、とんでもない。
男の価値は、母や妻で決まる、というのが古代日本だ。
新興豪族の藤原氏と、皇族女性、どちらが上なのか…
長屋王は、藤原光明子の立后、宮子の大夫人扱いに異を唱えた。
これまで皇后は、皇族女性…即ち男系女子のみが就ける地位であったし、臣下出身の藤原宮子を皇族女性と同等の扱いにするのはおかしいのである。
が、それは「長屋王の変」で、藤原氏女性とその子以外全員縊死という結果になった。
こうして、藤原氏は完全に皇室を掌握。
皇后になるのも、天皇の母になるのも皇女だけの特権だったのに、藤原氏に奪われてしまったのだ。
そのあとを継いだ女帝・孝謙天皇の詳しい話はまたいずれ。
孝謙天皇は色々言われるけれど、ぎりぎりまで皇統は護ろうとしていた。
だけど、彼女が迷走したために、妹の井上皇后もその子も闇に葬られた。
女性天皇も、皇族女性も、力を着けさせてはならない…
そんな反面教師になってしまった。
女帝の世紀が終わって、女性皇族の時代も終わり。
その役割や特権を、藤原氏に奪われてしまった。
それ以降の天皇の母や皇后や女御など、ほとんどを藤原氏が占めている。
それでも、皇女の品位は護られていた。
戦後、11宮家の臣籍降下により、皇女の婚姻先はほぼなくなる。
律令時代には、皇族女性は皇族男性としか婚姻を許さない法があった。
平安時代から降嫁が始まったが、それはやむを得ない場合であるし、相手もそれなりの相手だった。
戦後、どんどん相手の格が落ち、宮内庁もまともに皇女を御守りしないので、今や詐欺師に与えようとしている…
もっと酷いのは、女系容認、女性宮家というのものだ。
女性皇族を、その身分のまま、あるいは女性天皇にして、「ただの男」の子を産ませて後継ぎにしろというのだ。
これほど、女性皇族を馬鹿にした話もない。
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コメント
男系女系を問わず女子の子孫は女系となるんですよ💞
投稿: 富山県不二子財団 | 2022年10月28日 (金) 11時15分