2018年12月21日 (金)

海街ダイアリー完結

今日、最終巻を読み終わった。


万感の思い。
四姉妹の物語から徐々に世界が拡がり、鎌倉を舞台にした群像劇に、それぞれがそれぞれに完結を迎えた。

確かこれを読み始めた頃、娘は中学生、まさにすずと同じ年頃で、なんとなく似ていたので親近感を持ったものだった。

作品の中では一年半ほどしか経っていないが、リアルの世界では娘は成人し、社会人になっている。

中学生カップルのすずと風太が、夜にスマホアプリで会話するとか、ちょっと10年前には考えられなかったけどw
中学生たちも随分大人びて…特に男子の成長は凄い。

この頃の男子の1年は、急成長。子ども子どもしていたのに、肩幅が広く、顔立ちも精悍になってきている。

息子もそうだったよなあ…

まるで自分の物語のように見つめてきた世界が、ついに終わった。あとは自分の未来と同様、想像するしかない。

巻末の番外編がまた珠玉。
原点の「蝉しぐれがやむ頃」の、アンサーになっている。

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2016年3月15日 (火)

ガルパンで我が家は平和

昨年6月16日の件で、すっかり雅子様を見限り、愛情が無くなった私。

あとはもう、小和田家と現東宮職、すっかり創価に乗っ取られた宮内庁など御覧じろという状態になってしまった。

「現実」をしっかり見るのは酷かもしれないけど、まずは日本の危機を感じていただきたい。

さて、我が個人的ブログだ。

いろいろあった我が家だけど、「いろいろある」のはむしろ健全な家庭なのかもしれないと思う。

思春期と言うのは精神的な親殺しだし、親は子を独立させるため、壁となって闘わなくてはならない。

その役割を放棄して逃げ出し、収まった頃に帰ってきた夫は、今完全に孤立している。

子育ての一番辛い時期は、ある意味自分にとって一番大事な時期なのだ。



で、今息子と私は素晴らしいオタク仲間で、ガルパン仲間。

ここ10年ほど、アニメからも遠ざかりつつあり、いよいよ世の流れについていけなくなったか、もうアニメ卒業か…と思っていた私に、息子が熱く「ガルパンはいいぞ!」と語り、「とにかく見てくれ」と、リビングのテレビでテレビ版全話を見られるように手配してくれて…

…これまで、同じ映画を何度も見るなんてことはしたことがない。

娘の成人式で、老後を考えたら節約しなくてはモードになっていたのに…

明日ULTIRA見に行くぜ~!と告げると息子は驚愕。
「おかん、5回も行くのかよ…」

いやいやいや!

私、ガルパン劇場版、全部別の劇場、別のシチュエーションで見てますから!

5回同じ映画を見るんじゃないです!
1回、1回、1回、1回、1回!なんです!!!!!
と応戦したら「頭おかしいwww」と褒められた。

貴様、何年私の息子をやってる。

そして、この映画を10回以上見ていると豪語する息子が言った。

「…俺は、ガルパンを3回しか見ていないのか…orz」

いやいやいやw

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2016年1月12日 (火)

息子と暗殺教室を語った

子どもらも成人・就職し、最近ブログも「便りが無いのは良い便り」状態だったけど、ちょっと備忘録的に。

いやあ…「暗殺教室はいいぞ」

ガルパンに夢中な息子に徐々に洗脳される私だけど、暗殺教室最新刊を読んだ息子とちょっと暗殺教室の話に熱中した。
タイトルだけ聞いたらドン引きされる事間違いなしながら、「これほど胸が熱くなる熱血先生漫画があるだろうか!」
という同作品。

3月までに殺せんせーをなんとかしないと地球が亡ぶ。
その使命を与えられ、殺せんせーに暗殺者として、中学生として健全に育てられた三年E組の生徒たち。

少年ジャンプという商業雑誌ではどうしてもヒットの法則というのがある。

この作品は、王道を行きながら裏を返す面がある。

普通、「主人公」は次々強敵と戦いながら強くなっていく。

この作品において、その法則にあてはまるのは渚君ではなく、殺せんせー。

続々現れる強敵と戦っているのはせんせー。

むしろ、ラスボスと言えるのは一見女の子に見えるひ弱さの渚君。

というのが私の持論だけど、息子はそれを聞いて反論した。

「俺は、あの漫画のラスボスは『教育』だと思う」

万能すぎる殺せんせーだが、彼が戦っているのは「教育」そのもの。

だからこそ、迷い、ためらいつつ、荒れる生徒(この辺はネタバレになるので)にも真摯に立ち向かう…

そういうものを、感じたという。

あと、マッハ20でマンツーマン教育、荒れる生徒にも真摯にという理想的過ぎる教師像で、本物の教師を追い詰めるなと。無理だからと

そりゃあ、あんなん漫画だからと…


…って、高校時代、教師を追い詰めて失敗した事も含んでいるんだろうか。



とにかく、「暗殺教室」は、親が子に読ませたい、子が親に読ませたい、今最高の教育漫画である。

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2015年11月18日 (水)

ザンボット3で自虐史観を克服しよう

はぁとふる売国奴こと田中圭一先生が、一か月ほど前に「日の丸が好きになれない」(大意)とつぶやき、それを問題視する愛国者の皆さんの反応にちょっと絡んだ。

…まあ、わかるんだよね。私もまさに自虐史観の中で育ったから。

ただ、ひねくれものだったので、あの時代に古事記などを読んだり、天皇の系図を見て自分で皇統の男系継承を発見したりという子どもで、日の丸や君が代にも一家言持っていたのだけど。

でも、今でもそういう感覚に支配されている人は多いと思う。

昔私を育ててくれた、偉大なクリエイターたちがそういう考え方で、「炎上」するのも何度も見てきた。

で、ここでガンダムの原点とも言われる「無敵超人ザンボット3」について語りたい。



「戦え 我らの 我らの 仲間」

という当時のロボットアニメに普通にあるオープニング曲とはうらはらに、「ザンボット3」は作中、日本人に迫害されるヒーローだった。

突如現れ地球で殺戮を繰り返す謎の宇宙人・ガイゾック。それに立ち向かうのは、かつてガイゾックに滅ぼされた星から地球に逃れてきたビアル星人の末裔・神ファミリー。

神ファミリーは、「お前たちがいるから地球が襲われるんだ」とご近所さんたちなどからさんざん叩かれながらも、ひたすら戦う。

そして成層圏外にあるガイゾックの本拠地に挑む。

一族のおじいちゃんやおばあちゃんや、お兄ちゃんやいとこたちが、特攻して活路を開き、主人公の勝平少年は敵の心臓部に単身で乗り込むのだ。


そこで、勝平は衝撃的なことを聞かされる。

ガイゾックは、実は宇宙の平和を守るための機関で、ビアル星人も地球人も、宇宙の平和を乱す悪者だから、攻撃されたというのだ。

「違う!」と勝平は言い返すけど、これまでの経緯を考えればそれ以上の反論もできない。

自分たちの戦いは、家族や友達の犠牲は、無駄だったのか…

絶望のまま、勝平はザンボエースとともに、地球、故郷である駿河湾に落下するのだ…


ここまでが、日本人の自虐史観。

日本人は悪だったから原爆を落とされた、国連には従わなくてはいけない、特攻は無駄死にだ…

だから、国旗や国歌を誇れないし、謝り続けなくてはいけないんだと。

勝平が、涙しながら落ちていって、フェイドアウトするシーンでエンドマークが出たら、いやだろう。

そのあと、勝平が故郷を誇っていい、地球が故郷なんだと思えるであろう終わり方だったから、「ザンボット3」は名作なのだ。

日本人は間違った戦争をしていないし、素晴らしい民族であり、誇れる文化を持つのだと気づいてから幸福に生き、死のう。

自虐史観にとらわれたままのラストシーンにしてはいけない。

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2015年7月24日 (金)

バケモノの子を見てきたよ(ネタバレあり)

今日は関東の天候が大荒れだったようだ。

あちらこちらでゲリラ豪雨、その名のとおり「谷」地形の渋谷は青山あたりの雨も集めて、とくに地下鉄が水浸しという大変なことに。
で、その渋谷が舞台の映画「バケモノの子」を今日、一人で見に行った。

実に、魅力的な映画であった。

異世界は美しく哲学的で、熊徹を中心とするアクション描写も見事。
細田作品ならではのモブ描写、音響の素晴らしさも含めて、映画館での鑑賞をお勧めしたい。渋谷スクランブル交差点や、バケモノたちの蠢く世界を表現しようという狂気に近い創造力には圧倒されるはずだ。(ついでに、リアル過ぎる街描写…)
「千と千尋の神隠し」的な異世界での成長物語のように見えて、異世界・現実世界の描写はさらに深く、「ベスト・キッド」的な師匠モノかと思うと意外や意外、少年以上にお師匠様が学び成長することが多く、どちらが「師」なのかわからない、互いに主導権を握るバトルがコミカルに描かれるのが肝でもある。

親を失った少年は、バケモノである熊徹との関わりで父性に触れ、常にマイペースだった熊徹は、自分の過去を埋めながら父性を育て、そして少年の実の父親は、まったく平凡に生きながら無条件で少年を受け入れ、失われた時間を取り戻そうとする。
「おおかみこども」と妙に似た世界を感じながら、描かれているのは母性よりも父性である。
…とうっとり見ていたのはいいのだけど…
少年が人間世界の「渋谷」に舞い戻ってから、ちょっとつらい。
なぜ彼が図書館に行ったのか、なぜメルビルの「白鯨」を手にとり、これを読むことに固執したのかが、まったくわからない。(あのクライマックスへの伏線なのはわかるけど、無理やり過ぎ)

で、あのヒロインはなんなんだw

「おおかみこども」の花ちゃんのように勤勉なお嬢さんなのはわかるけど……いちいち「何????」としか感じない。
まったく魅力を感じさせないまま、物語はクライマックスに。
渋谷大惨事。
ヒロインは主人公の手をとり地下へ。
…今日も豪雨でえらい目にあったけど、あそこで地下はまったく安全地帯ではない。
水も、火も怖い場所である。
というか、逃げていい立場じゃない主人公。
で、何???と思ったら、地下鉄副都心線に乗ったらしい。
…私はこれには乗ったことがないが、渋谷~明治神宮(原宿)間は大変近く、普通は徒歩で行ける距離。
センター街をぶらり、スペイン坂(熊徹の家周囲は、スペイン坂の傾斜に似ているね)を冷やかしながら公園通りを歩けば、もうすぐそこは代々木の国立競技場エリア。
渋谷の街を見せつつ敵を被害の少ない場に誘導するのならこのルートだろう。
言っちゃなんだが、あの状況で地下鉄に乗って、座って、まったり自分語りするってどういう神経…いや座って一息ついたと思ったら、すぐ駅アナウンスで話もできないよ。
というか、あの状況なら都区内を中心にすぐ交通マヒだよ…あてにできないルートだよ…
まだ、唱歌「春の小川」のモデルになった渋谷川跡地ルートをひた走った方がましだったよ…
で、主人公と同じく(自粛)なボスキャラが、あの本を読んで鯨モンスターに…いや、鯨はとても美しかったけど、どう見てもそこ(渋谷を泳ぐ鯨)に持っていくためのこじつけにしか思えなかった…
主人公とヒロインの出会いも含めて。
で、ヒロインはいちいち物語にブレーキをかけながら、何がしたいのだかよくわからないままお話が終わる。
……いっそ、ウエットな部分をすっぱり切って、主人公に学歴をつけさせたい、あたしが先生になったげる!というだけの痛いにぎやかキャラの方がテンポよく面白かったかもしれない…
いやいっそ、ヒロインの存在そのものが不要だったように思う。
…まあ、映画を作るのも様々な事情が絡むし、キャストやストーリーも好きなようにはできないよね…


それにしても…キングダムハーツプレイヤーには、途中から「ハートレス??」「心の闇が???」「あ。やっぱりこの声の人がラスボスw」
でした…orz

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2015年7月 9日 (木)

「バケモノの子」を、娘が略す

「サマーウォーズ」も「おおかみこどもの雨と雪」も、娘と一緒に映画館で見た。

ついでに、「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」も、昔一緒に見に行った。
さて、そんな細田守監督作品最新作「バケモノの子」があさって公開。
どうするかな?予定は合うのかな? と、娘に聞いてみた。

「バケモノの子、どうする?」
「バケ子?」

……そう略すの???

「サマーウォーズは、サマウォって言うけど…」
「サーズ」

…なんか、病気っぽくなったぞ???

「そういえば、おおかみこどもって、略さないよねえ…あめゆき、とか言わない」
「雨と雪の女王」

微妙に別の作品になってるじゃん…

「おかこ」「おお雨」「おお雪」「こ雪」

いやいや、どれも原型がわからんw

「まあとにかくどうする?一緒に見に行く?」
「ケモノの子?」
「いや、バは譲れん」
「バ子?」
「いやもういいから、いつ見に行く?」
「今日これから行く?」

まだやってへんわー!

どうもありがとうございましたー!

って、なんでいつも漫才みたいな会話になるんだー!

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2015年5月29日 (金)

反論するにも筋がある

先日ちょっと紹介した(けど就寝時間を越えたのと管理ページの不具合で途中で切った)、話題のコミック「日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)」だが、これの著者が在日から多くの嫌がらせを受けていると知った。

もともと、某有名ジャーナリスト氏が「差別だ!」と怒りの恫喝拡散で大注目になり、思わぬベストセラーになってしまったわけだが、一漫画家という弱い立場の人に、出版社やイベント主催者に圧力をかけて攻撃しているのだ。
言論の自由というものがある。
自分の意に反することが言われたら、当然反論する権利がある。

この作品の場合は、在日の皆さんは品位正しく、この本に書かれているような事実は無いことを証明し、堂々と抗議すればいい。
なのに、恫喝や嫌がらせで言論を封じようとするとは。

作中、主人公の中学生達は、在日ネットワークにより、ネットを行使し学校にも圧力をかけて弾圧される。
学校の中にも左側の教師がいて、生徒たちを守るどころか一緒になって潰そうとする。

学校に依存しなくてはならない弱い立場だと知っているから、ただの女の子だと知っているからこそ恫喝して言葉を封じようとしているのだ。

って、何のことは無い、本に描かれている恫喝や脅迫、実際に漫画家にやっているじゃないか!

この本、本当のことを描いてますよ!と、当の在日さんたちが証明してくれているw



作中、少年は「日本は戦争寸前」だと。

私はちょっと反論する。

とうに、戦争状態です。
日本は内側から破壊され始めている!

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2015年5月17日 (日)

話題の本をゲットした!

きっかけは、ツイッター。

あの有田芳生さんがけしからん!とつぶやいたことで瞬く間に話題になり、私も「なんだその本は??」と注目、急いで書店に走ったのだ。(極力書店で本を買う主義)

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

https://twitter.com/a_t_gun

まず、本の帯の「日韓関係を引き裂いているのは不逞鮮人」ということがよく分かります!」

いいですね。
これはヘイトじゃありません。

朝鮮人全般を言うのならヘイトでしょうが、問題点は「不逞」にあると書いている。

そりゃあそうでしょう、どこの国でも「不逞」な人にはいて欲しくない。

経済力もないのに他国に渡り、犯罪を繰り返すような国の人などいて欲しくない!

しかもこの人たちは、ちゃっかり「弱者様」の座に収まり、何をやっても批判されないし、何かやらかしても「通名」というマジックで経歴をロンダリング、また同じことをやる。

生活保護を受け、さんざん国に寄生して、そのくせ国を大声で批判する。

日本人は当然として、これは心ある韓国人こそ怒るべきではないの?

私がその立場なら、「不逞な同胞」に怒る!

迷惑をかけている相手国に怒るなんてありえない。「あんたらがそんなんだから私たちは差別されるんだよ!」と声高に叫びたい。

そう、差別は、差別される側が作り出しているのだ。



フツーの女子中学生・奏(かなで)の視点から描かれる「ヘイトスピーチ」デモの実態と日本の現状。

この手のプロパガンダ漫画はいくつか手に取ったけど、強引な展開や口汚い表現に閉口することが多かった。
が、この作品は絵も巧みだし、魅力的なキャラクターを創り、無理なく「物語」にひきつける。

                                                                                                                        

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2013年2月22日 (金)

「聲の形」を読んで

今週の週刊少年マガジンで、読みきりの「聾の形」が話題だというので、読んでみた。

普通の小学校に、西宮という美少女が転校してくる。
彼女は聾唖の障害を持ち、コミュニケーションは筆談で行わなくてはいけない。

やがて彼女の行動に同級生も教師も不満を持ち、それは陰湿ないじめに発展。
主人公の少年はその先鋒であったのだが……
週マガは、時々こういう啓蒙漫画を載せる。以前、アスペルガーを扱った「十五の夜」について感想をここに書いたのを思い出す。

あの作品よりは、問題の本質に迫った、と思った。

障害者が社会で普通に生活するためには、相互の理解が必要なのだ。

「十五の夜」では、奇怪な行動をして嫌われ、孤立してしまう主人公を、「彼はアスペルガー症候群という障害をもっているのです」の一言で他の子たちが理解し、温かく迎えてあげていたが、実際にはそこからが物語りの始まりだろう、と思った。
障害があるというのなら、そういう専門のところに行って

というのが、普通の人の反応。

アスペルガーなどの発達障害は、程度にもよるが、福祉の対象にならず、専門的な教育を受ける機会もなく、一般社会で「嫌われ者」になりがち、というのが問題なのだ。

西宮さんは知能に問題はなく、親が希望したのか、聾唖学校に行くまでも無いと判断されたのか描かれていないが、普通の学校にやってきた。
先生の話に反応せず、言葉は不明瞭で、ノートでの筆談でだけコミュニケーションがとれるという。
驚いたが、それを受け入れた健常児たち。
しかし、西宮さんは、授業中先生の話が聞き取れないとノートで「今何を言ったのか教えて」と周囲の子たちに聞く。
教科書を読むというのも、他の子たちと同じ様に順番がまわってくる。
不明瞭な言葉に笑いをこらえ、物まねをする子も出てくるが、聞こえない彼女にはわからない。
合唱コンクールで常勝だというこの学校、音程がとれずまともに歌えない彼女は、級友が手を握り、音程を手の高さで伝えて支えたが、入賞を逃してしまう。
そこから、彼女への容赦ない攻撃が始まる。黒板に書かれた文字で、ようやく彼女は、自分がいじめの標的であると知る……

☆ ☆ ☆

これを読んで、「差別やいじめはよくない」というありがちな感想を持つことはないだろう。

なんの配慮もなく障害者を一般社会に入れたらこうなる、健常者は、こんなに我慢している、という怒りさえ感じた。いじめる側の視点で描かれたというのもよかった。なぜトラブルが起こり、何にいらついていじめという暴力に発展するのかが見所だ。
授業中に「今、先生何を言ったの?」というようなことを聞いてまわるのは、障害の有無に関わらず、非常識で迷惑な行動だ。
それを筆談で教えて、となると、相手が授業についていけなくなるくらいの負担になる。
そういうことをしてはいけない、と誰も教えないし、「障害」という大義名分の前に、級友たちも本音を言えない。

障害を盾に、……本人も悪気は無く、これまで当然のように守られて、甘やかされ、周りが支えてくれて当然、同じ様に社会生活を送って当然、と考え、行動してきたのだろう。

それが、大きな暴力に発展してしまう。


障害者の社会参画は、相互の理解と配慮が必要なのだ。

一方的に理解と配慮を求める限り、差別やいじめはなくならないだろう。

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2012年10月10日 (水)

子どもたちの成長

最近はよく息子と話す機会がある。

「子どもの頃、『美味しんぼ』を面白く読んでいたんだけどさあ」
「うん」
「あれに出てくる人って、みんな、おかしいよね?」
…大人になったね、息子よ…

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