虐待は連鎖する、といわれるけれど、人間、親から受けた育児法を授かった能力でこなすしかないものだ。
昨夜、久々に息子と口論になった。息子は、もはや私などよりも体が大きく、かつてのいじめっ子をぶっ殺すべく鍛えたおかげで筋肉自慢。もう少し胸筋がついたら「北斗の拳」のケンシロウのコスプレが似合うようになるかもしれない、とひそかに親ばかしているくらいである。
息子はお望みならてめえをぶっ殺してやるよ、てめえだけは俺のことを何にもわかっちゃいない。と、暴力をほのめかす。これまでもさんざん暴力で訴えてきた息子。まともにやりあったら、いよいよ明日の新聞ダネだ。
が、ここでひいてはいけない、と思う。私の親からはいつも「逆らうな、この馬鹿」と言われるのだけど。
昔、遊戯王カードにはまった親子をテレビで見た。息子が遊戯王カードに夢中で、父子家庭の父親はそれを制御できていないのだ。少し、父親が抵抗する場面が映っていたが、息子は椅子にふんぞり返り、父親は床に体育座りで、明らかに息子の方が精神的優位にたっているのが見えた。結局その父親は息子をしつけることができず、肥え太った息子はますます傍若無人な性格をはぐくみ、父親の金でレアカードを買い、友人たちを叩きのめしてご満悦。結果的に彼を孤独にし、狂わせているんではないかとあきれ返った。私のカード嫌い、ネットゲーム嫌いはそういうところからきている。
て、息子が椅子にすわり、私がローソファ。
猫だったらその時点で私が負けてるじゃないか。まずいなあ。
しかし私は胴を思いっきり伸ばして対抗する。親の、「伝家の宝刀」を抜いてやる。
「そのパソコンは、本体もディスプレイも、私が買ったの。電気代も、私が払ってるの。ネットだって、タダじゃない。100パーセント、私のものなの。あんたは、使わせてもらってる身なの。ここで暮らせるのも、ご飯が食べられるのも、学校に行けるのも、私が必死で働いているおかげ。私が仕事から帰って、夕食を作って食べて、お風呂作って入って、パソコン使うって言うのになんであんたがそこをどかないわけ?私はあんたに十分、使わせてやった。今私が使うって言うんだから、私が最優先で使えるはずでしょう!? 文句があるならここを出て家賃払うか家を買うかして、電気代も水道代も払って、パソコンでもなんでも買って、ネット代も払って好きなことをしなさいよ!」
うわーー我ながら本当にイヤな親である。私の父親のようだ。
私は父に「俺が稼いでいるんだッ俺が家長だッいう事を聞け!」とぶん殴られて育った。何かと言うと有名大学出で大手企業勤めを振りかざし、子どもを抑えようという父に、私はずいぶん反発したものである。まさに、息子くらいの年頃に。
そりゃあ殺意くらいほいほい湧いた。人の殺し方なんかは推理小説や漫画のおかげでいくらも知っていたが、同時に新聞などを読んでいたので、親を殺したところで自分の求める理想郷は得られないのだと、ぎりぎり「理性」というものを育てていたので思いとどまったが。
「こんな親のもとにいられるか。絶対、独り立ちして自由を手に入れてやる」
それが、私を結婚や就職など、独立へ向かわせる原動力になった。
と、今の私は信じており、いろいろ欠点もあろうが父を尊敬しているので、この「信念」を胸に、私は思い切り胴を伸ばした。なんなら首も伸ばしてやる。正直「アタシ、今そんなにネットやらなくてもよくね?こんな時間だし、あったかい布団の中でFF4DSでもたしなみながら寝てえよなあ」なんていう煩悩も沸き起こるが、息子が私に対抗しようとしているのだ。それをがっつり受け止め、たたき返して独立心を育てなくてどうする。
延々、押し問答をしていたが、息子は口を尖らせながらPCを再起動し、その場を譲った。ああ、「糞親が。いつかてめえを見返してやる」と思ってくれてかまわんよ。ていうか、見返してくれ。
☆ ☆ ☆
某女流作家のブログが炎上の気配。
創作活動の一環にもなった、いろいろあって生まれた子どもを、どうも「虐待」しているようなことをほのめかしているようなのだ。
私は断片しか知らないのだけど……親子関係が、かなりまずい状態なのだなと言うことはわかる。幼い子が「嘘をつく」というので母親である作家はヒステリックに叱り、「このままでは犯罪者に」などと怯えているっぽい。息子はつぶらな瞳を涙でいっぱいにしていて、それを作家は撮影してブログにアップしている。ママがこれほどヒステリックなら、子どもは必死で嘘でもなんでもついて身を守るだろう。けれど、幼い息子がこんなにも澄んだ瞳を涙でぬらしているのを見せるって。
育児というのは本当に大変なもので、どんなに素敵なママでも話してみると「こんにゃろー!とか思ったわよw」と告白するものだ。だから、わが子を「糞」と表現してしまうのもわかる。いろいろ疑心暗鬼になるのもわかる。私なんか、「明日は新聞沙汰」をテーマに、むしろそれを抑止力にしようとこの恥ずかしいブログを書き続けているようなものだし。
そして、「このママ、1人でかなり追い詰められていて、助けを求めているんじゃないかな」とも思うのだ。この人は、なまじ「表現」という手段を持っているから、こういう形で悲鳴をあげられる(有名人だけにきっとまた大変なことになるだろうけど)けれど、そんなこともできずに子どもを育てられないでかわいそうなことにしてしまう親子は数多いのではないか。
虐待に走る親を救わないと、本当に親子を救うことにはならないそうだし。
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