2015年11月18日 (水)

ザンボット3で自虐史観を克服しよう

はぁとふる売国奴こと田中圭一先生が、一か月ほど前に「日の丸が好きになれない」(大意)とつぶやき、それを問題視する愛国者の皆さんの反応にちょっと絡んだ。

…まあ、わかるんだよね。私もまさに自虐史観の中で育ったから。

ただ、ひねくれものだったので、あの時代に古事記などを読んだり、天皇の系図を見て自分で皇統の男系継承を発見したりという子どもで、日の丸や君が代にも一家言持っていたのだけど。

でも、今でもそういう感覚に支配されている人は多いと思う。

昔私を育ててくれた、偉大なクリエイターたちがそういう考え方で、「炎上」するのも何度も見てきた。

で、ここでガンダムの原点とも言われる「無敵超人ザンボット3」について語りたい。



「戦え 我らの 我らの 仲間」

という当時のロボットアニメに普通にあるオープニング曲とはうらはらに、「ザンボット3」は作中、日本人に迫害されるヒーローだった。

突如現れ地球で殺戮を繰り返す謎の宇宙人・ガイゾック。それに立ち向かうのは、かつてガイゾックに滅ぼされた星から地球に逃れてきたビアル星人の末裔・神ファミリー。

神ファミリーは、「お前たちがいるから地球が襲われるんだ」とご近所さんたちなどからさんざん叩かれながらも、ひたすら戦う。

そして成層圏外にあるガイゾックの本拠地に挑む。

一族のおじいちゃんやおばあちゃんや、お兄ちゃんやいとこたちが、特攻して活路を開き、主人公の勝平少年は敵の心臓部に単身で乗り込むのだ。


そこで、勝平は衝撃的なことを聞かされる。

ガイゾックは、実は宇宙の平和を守るための機関で、ビアル星人も地球人も、宇宙の平和を乱す悪者だから、攻撃されたというのだ。

「違う!」と勝平は言い返すけど、これまでの経緯を考えればそれ以上の反論もできない。

自分たちの戦いは、家族や友達の犠牲は、無駄だったのか…

絶望のまま、勝平はザンボエースとともに、地球、故郷である駿河湾に落下するのだ…


ここまでが、日本人の自虐史観。

日本人は悪だったから原爆を落とされた、国連には従わなくてはいけない、特攻は無駄死にだ…

だから、国旗や国歌を誇れないし、謝り続けなくてはいけないんだと。

勝平が、涙しながら落ちていって、フェイドアウトするシーンでエンドマークが出たら、いやだろう。

そのあと、勝平が故郷を誇っていい、地球が故郷なんだと思えるであろう終わり方だったから、「ザンボット3」は名作なのだ。

日本人は間違った戦争をしていないし、素晴らしい民族であり、誇れる文化を持つのだと気づいてから幸福に生き、死のう。

自虐史観にとらわれたままのラストシーンにしてはいけない。

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2008年6月 5日 (木)

息子のクラスはリアル「ごくせん」+α

最近、超人気ドラマ「ごくせん」に難癖つける人のことが話題になったが、笑止千万。

ほとんどの、まともな知性と良識を持った人なら、この良質なフィクションを普通に楽しんでいるだろう。これを見て、本物の極道やら不良やらにあこがれるような子どもは、どうあったってそういう世界に飛び込むだろう。親の良識、本人の理解力、そういうものが不足している人は、漫画だろうがドラマだろうが、フィクションを楽しむ資格が無い。

さて、我が息子は今、「ごくせん」のようなクラスにいる。

野郎ばかりのクラス。茶髪やピアスなど服装の乱れた生徒もいくらか見られる。「委員長」は、ちょい不良系イケメンで、実は頭がよく統率力もあるが、汚い大人は大嫌いだ。体重100キロの、デブキャラまでご丁寧に揃っている。落書きだらけではないが、教室には美少女の首をつけたモビルスーツなんかが並んでいる。ほぼ息子の犯行だ。男臭い教室は、ドラマそのものだった。

「はみだしもの」を受け入れる学校。それは、私の時代なら、まず授業についていけない「落ちこぼれ」で、「不良」と相場が決まっていた。高校進学は、偏差値でほぼ振り分けられていたので、おのおのの学力が粒ぞろいになることになった。

しかし今「はみだしもの」の学力はさまざまだ。息子の学校は、息子と同じように「不登校」だった子が多いが、学力がないから不登校になるというわけでもなく、怠け者だから不登校になるというわけでもない。中には、怠惰で知能やモラルの低い子もいるようだが、ほとんどは人一倍まじめで心優しいからこそ、学校に行けなくなってしまったという事情もあるようだ。学力は、息子と「委員長」がぬきんでている。私は、息子の学力でなんとか「上」と言われる学校に進み、アスペなりに彼に向いた職業に進んでくれればと教育ママ的期待をしていて、「こういうところに入って浮かないだろうか、生きづらくはないだろうか」と心配していたが、息子は「今の俺のクラス最強!」と胸を張る。

息子いわく、不良系のやつ、オタク系のやつなどはみだしものばかりだけど、たとえば仲間の身体的欠陥を本気で嘲笑するようなやつなんかは一人しかいない、という。

みんな根は真面目で普通に向学心はあるし、本当に問題がある人間しかハブらないという。とてもよくまとまっていて、先生に反抗する(前述したが、一部の先生側の学力にも問題があるらしい)こともあるが、素直な良い子ばかりだ。

「他の学年だと、金を盗まれたり脅されたりとかいうことがあったらしいけど。俺の学年は全然ないらしい」

ふーーーーーーーーーーーーーーん

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2008年4月12日 (土)

息子の学校に行った~白村江の戦い~

新学年になった息子と、学校のガイダンスに出た。

不登校からクラスの人気者になり、明るい息子にほっとする一方、息子の態度が気になった。ガイダンスが始まると、息子が一人の先生が話すときだけ非常に悪い態度になったのだ。友だちとの雑談を止めず、PSPをいじる。他の先生のときは、きちんとするのだけど。

「ちょっと、ゲームやめなさいよ」と最初は声をかけていた。……しかし、息子の態度の意味がだんだん分かってきた。

その先生、非常に話が分かりにくい。ガイダンス程度の内容を、行きつ戻りつ同じ内容を繰り返し、かえってわかりにくくなってくる。わたしもいらいらし始めた。こんなんだったら、素直に資料を朗読するだけの方がまし。

あとで息子に聞いてみると、授業もこんな調子で、わかるものもわからなくなるのだという。当然のようにその教科は平均点がものすごく悪いのだが、「おまえらちゃんとやれよ」で終了。やってられねー、と息子は言う。

息子の、学校への不満はまだあった。他の教科でもとんでもない先生が何人かいる、という。「大海人皇子」を「だいかいじんおうじ」と教えるのはまだシャレの範囲だと思った、と息子は言う。「白村江の戦い」を「はくすきのえ、はくそんこう…まあはくそんこうのたたかいで覚えとけ」と授業でやり、テストで「白村江」の読みが出たとき、息子は「はくすきのえ」と書いて、なんと×になったそうだ。

ええええ。

私にとっては、「はくすきのえ」以外ありえないし、「はくそんこう」なんて言ったら笑われるんじゃない????と驚いた。中学生の娘も同じ反応だった。

しかし、念には念を、とパソコンで調べることにした。「はくすきのえ」と打つと「吐く好きの絵」と出る。どんな絵だ。漢字をひとつひとつ打ち込んで検索すると、たしかに最近は「はくそんこう」と読む方向にあるようだ。

しかし、×になるようなことだろうか。日本書紀に記述され、長年日本人の間で使われてきた読みが、いつの間に否定されてしまったのだろうか。外国の地名だから現地の読みに順ずる、というのは理解できるが(私は韓国の地名も、韓国語読みでこだわる派だ)、間違いにされるほどのことなのだろうか。

しかしまあ、少しでもレベルの高い授業を受けたければ、それなりの努力をして希望の学校に行くべきで、最終的に自分が選んだ学校なんだから仕方が無いよ、とは言った。ついでに、どこの学校にもいろんな先生がいて、みんながみんな、生徒の能力を引き出してくれるわけでなく、とんでもない先生なんかざらにいる。それで自暴自棄にならずに自力でなんとかするしかないよ、とは言った。

しかし息子は、すでに授業中とある先生に向かい「あんたの話を聞くくらいならゲームでもやったほうがましだ!」と突っぱねたという。

  _, ._
(;゚ Д゚)

で、どうやら授業に出ても話を聞かず、教科書を適当に読むだけでそれでも息子は平均点をあげている。本当に、聞いても聞かなくても同じというような授業らしい。さらに全然授業についていけない級友にも教えてやり、「おまえの教え方の方がわかりやすい」と感謝されているそうだ。

態度わるいのは、よくないけどね……

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2008年4月 2日 (水)

トイレが大変なことに

帰宅すると、トイレが新聞だらけになっていた。

使うと、汚水があふれ出す。「何これ!どうしたの!」

一人留守番をしていた娘が、パソコンで遊びながら「朝からそうなのー」とのほほん。急いですっぽんを取り出し、処理。「あ、そこにそんなのあったんだー」と娘。

お兄ちゃんはどうした。今日はバイトじゃないはずだが。娘が言うには起きて友だちに会いに行ってしまったという。

なんで、一言も私に報告がないのだ?

もしもすっぽんが無かったらどうする気だったんだ? 幸い今日は早めに帰宅できたが、トイレなしで夜は過ごせないぞ。とにかく私か、じーちゃんばーちゃんに相談しないと!

娘はそれなりに理解したようだ。ただ「うち、ママのメアド知らないもん」と言った。携帯の電話番号は知ってるでしょー。たしかに仕事で忙しいけれど、とにかく連絡しろって。

そこに息子から電話。「トイレ直ったー?」とのんきな声。ちょっと、何でこんな状態で出て行くの、連絡もないの! と苦言を呈したら、ぶちっと電話を切った。

息子が帰宅してからは口論だ。「別に詰まったことを責めているんじゃない、なんで困ったときに大人に相談しないんだ」「俺は日ごろ生意気な妹がちゃんと処理できると思ったから出てったんだ。急ぎだったしな」「友だちに会うことより、トイレが優先だろう!」「俺は関係ない。急いでたし。あんたに知らせたところでどうせ忙しくて何もできないだろう」「火事とかでも仕事を優先すると思うか。これはそのくらい大変なことだ。少なくとも、大人は適切な判断や処理ができる。たとえ読まなかったとしても、メールで連絡くらいするべきだ」「関係ねーよ!妹がちゃんとやると思ったし」「現にできてない。すっぽんが家にあることも知らなかった。腐児子にもさんざん言ったけど、とにかく連絡くらいしろ。指示するなり、処置するなりするから。無責任なことを言うな。できない人間に仕事を任せて失敗したら、それもあんたの責任だ。あんたはまさに中間管理職!」「店長のことか!」

ああ面倒くさい。それに怖い。いつどう暴れるかわからない息子相手に、どうどうめぐりの口論をするのは本当に疲れる。発達障害だか、異常性格だかまだはっきり判別されていないけど、とにかく口だけは達者、どんな屁理屈を作っても絶対に相手に譲歩しないという性格で、追い詰められると大暴れする子だ。これまでに家のあちこちを破壊し、私も大怪我をしている。

しかし、だからと言って妥協してはいけないと思う。なあなあで育ててきて、いざ社会に出たら使い物になりませんでした、では困るのだ。いずれは親の庇護を離れて独立しなくてはならない子、どんなに反抗しても、きっと何かしら心に残して、いつかは理解してくれることを信じて怒鳴り続ける。

今夜はマーボーナスどんぶりと海月の中華サラダ。

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2008年2月19日 (火)

息子の「試験」観~今期テストの荒れ方

毎度テスト期間には「せっかくテストで時間があるんだから少しでも勉強しなさいよ」「うるせー」で大喧嘩、器物損壊の大騒ぎになるのだけど、今期は私がな~んにも言わなかったため、比較的おだやかな一日目を迎えた。

しかし息子はやっぱり毒づいてきた。

「あ~~マジ最悪。一日目から国語と社会なんて、ありえね~」

いや、ふつうにありえるって。一日目から錬金術とか黒魔法の試験のほうが、ありえないから。

「ホントクソだよ。両方とも暗記ばっかりなんだ。暗記力だけを試験するの、意味ねえ」

……普通なら、暗記だけで点がとれるならラクだと思うけど。しかし息子は、昔から理解力を求められる問題が非常に得意という変わった子だった。清水義範の名著「国語問題必勝法」の主人公の心理が、まったく理解できないかもしれない。

「点をとりやすいテストだからいいじゃないの。小論文を書け、のほうが大変じゃない」
「そのほうがいい」
「大学にでもいけば、いくらでも論文書かされるんじゃない? 定期テストでは、暗記力を求められるのは仕方ないけど」
「ありえねえ」

息子は記憶力に欠けるというわけではない。むしろ優れているほうだと思う。ただ、コツコツ勉強して覚えるのは嫌いなようだ。なんとなく遊んでいて覚えられる子。子供の頃は神童だが、年を取ると馬脚を現すタイプだろう。私のように。

「社会とか理科とか、なんの意味もねえし。役にたたないし」
「そんなことはないよw」
「教科を分けることも必要ねえよ」
「分けたほうが、やりやすいって」
「歴史とかマジどうでもいい。昔のことなんか覚えてても意味ない」
「それは違うだろう。歴史を知ることは現代や未来を知ることでもある」

ふう、またこの話題か。とにかく、教科書程度のことは知っとけって。でないとよその国で「日本の寿司はわが国の料理のパクリ」などと言ってても、反論すらできない人間になっちゃうぞ。

「歴史を知らないと、今のこともわからないでしょ。なんであそこで戦争してるのかとか」
「戦争なんかすることが、わかんねえ。宗教は人を救うもんなのに宗教で戦争するのばかばかしい。国なんてイラネ。全部統一しちゃえよ」
なんかすごい中二病を見た気がするが、親としては少し相手してやらないといけないだろう。

残念ながら、そうは考えない人が世界の大半だ。世界3大宗教はキリスト教、イスラム教、ヒンズー教と言われるが、問題のキリスト教とイスラム教は一神教。他を一切認めないものだから、相容れない。しかも根っこが同じで、聖地が共通だったりするから始末に終えない。紛争の歴史は長いし、日本人のように宗教に寛容な人間は世界のほんの一握りだ。

世界を統一しちゃえ、と言うけれど、歴史上世界を征服しそうな人物は何人かいたけど、成功してないのはなんでだと思う?

最近もコソボ独立のニュースが流れたけど、国の数はむしろ増えてる。なんでだと思う?

この子は、ああだこうだと押し付けられる授業よりも、考えさせられる授業の方がむいているんじゃないかなと思うので、いろんな話題をふってやった。少し、大人しくなった。

ほら、最低限の知識がなければ、オカンにこの程度の反論さえできないじゃない。どんな立派な理想論を掲げていても、知識や経験がなければただの妄想だよ。

☆  ☆  ☆

市川崑監督追悼企画で「犬神家の一族」2006年版を放映していた。

子どもたちが大好きな某ゲーム由来ホラーの元祖みたいな横溝ワールドで、息子もパロディなどで断片的に知っているので意外と楽しんで見ていた。

「ほら、昭和22年、のテロップだけでどういう時代なのかがわかるのも、多少は歴史を学んだからだよ~。なんで金田一が『国破れて山河あり』というのか、旅館に米を渡すのか、そういうところもしっかり見ておくといいよ。え~と、わかりやすく言うと、『火垂るの墓』の2年後ね」

入り口はどこでもいいから、そういうことに興味をもってほしい。

一方娘は学校で「日出処の天子」を読んで、少しその時代の本を読み始めたそうだ。……違う方向に興味も持ちそうではあるが、それはそれで。

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2007年10月29日 (月)

息子の弁当作りを拒否してみた

たしか入学前「俺、自分で弁当作る!」とか言っていたのにぎりぎりまで寝ていて、いつしか私が弁当を作っている。

しかも腹が立つことに、それを残している。

部屋のあちこちに隠してある大量のおにぎり。いくつ買っても無くなる弁当箱も、ちょっと探すと中身がたっぷり入った状態で見事に醸されている。

食べ物を粗末にするか。忙しい母の心遣いを足蹴にするか。

呆れるやら情けないやらで涙が出る。問い詰めると「食いきれなくて」とか「時間が無くて」とか言う。一方、夥しいカップ麺やスナック菓子も出てくる。これも半分くらい食べて放置なんていうのが珍しくない。冗談じゃない。

「じゃあ、やっぱり自分で弁当作って。自分の食べられる量が作れて、無駄が無くて良いでしょう」と宣言。私が本気なのに、少し驚いていたようだ。いつものように寝ていれば、私があせっておにぎりくらい作ってくれると踏んでいたようだ。

親戚に、こういう人がいる。

本人は経済観念と生活能力が無い。そのくせ虚言癖があり、何かと見栄をはって金をばらまく。金の出所は、かつては母親、今は兄弟たちだ。

その母親は、彼が顔を出すと数十万単位で小遣いを与えていたそうだ。その頃は羽振りもよく、優秀で可愛い息子に惜しみなく金を与えていた。だからその人もそれが当然だと思って生きてきて、今古稀を越えている。

当然のような顔をして、兄弟から数十万単位の援助を求める。「借用書を書け」とせまられると「兄弟なのに、水臭い」と不思議なことを言う。それでも仕方なく援助をしているのだが、家にその人が来ると家電や車を見て「なんだ、安っぽいのを使っているな。うちのはもっと良いものだぞ」と自慢をする。うちが安っぽいものを使って倹約しているから、何とかおまえが生きていけるはずなんだが????と首をかしげることになるのだ。

体が不自由になった弟の面倒も見ているため、これまた仕方なく兄弟が援助し、公的な援助も入るはずなのだが、その弟の病院や介護に使われるはずの金はすぐに消える。風俗やら、夜の遊びにも使っているようだ。援助している家もしたことのないような豪遊で、十分一月生活できて弟を養うべき金が一晩で消える。そして金が無い、とさらにせびりにくる。

その母親は、とうに亡くなった。かつては羽振りが良かったが、その後たちまち凋落し、かなり惨めな…人によると餓死に近いものだったらしい。それでもその人はたかり続けたし、「もう、金が無い」とぼやきながら、食事を拒否して死んだのだ。親が亡くなったため、その人は兄弟にたかる。それを迷惑とも、感謝すべきものとも思っていない。

それが当たり前だと、結果的に親に教えられたから。

というわけで、私は虐待だといわれようと、弁当つくりを拒否する。毎度毎度食事ができることのありがたみを知れ。自由にやりたければ責任を負え。飢えて困れ。困りたくなければ、働け。

……これで息子が無銭飲食とか万引きでもすれば、きっと私は「十分に食事を与えなかった鬼母」として困ったことになるのだろうが、それを恐れて甘やかしていれば、前述の親戚のようなモンスターになる。

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2007年9月16日 (日)

CCの最中ですが食育について考えた

さんまは今がまさに旬。

丸々太って、ぴかぴか新鮮なものが1尾100円を切る価格で手に入る。いつものように半身を塩焼き、半身を酢の物にして秋の味覚を楽しんでいたところ、娘が「調理実習で、いわしのかばやきを作るはずだったんだけど、旬だからって、さんまになったの」と話題にした。

子どもたちに「旬」を教えるのは良いことだ。安くて、おいしくて、栄養価も高い。冬にスイカを食べるとなるとエネルギーも無駄に使うが、旬のものならそんなこともない。大地の恵み、四季の喜び。これらに感謝しつつ「一番おいしいもの」をいただくようにしたい。しかし

「でもね、時間が無いから魚をおろさないの。おろしてもらったのを、買ったの」

という娘に、私とアスペ息子は「ええええええええ」と叫んだ。「せっかくの調理実習なのに?」「それじゃ意味ないじゃない」

親の私の世代が子供の頃でも、「最近のお母さんたちは魚を調理しない」「目が怖いなどと言って焼き魚などをイヤがる子が増えている」などという話題が、新聞などで見られた。変わり者だった私は「それならば」と魚を捌くことに挑戦し始めた。……と言ったって、見よう見まねである。最初に自分で買ったのがにじますで、おなかに包丁が入らなかった。にじますは、エラから内臓をとるのだと知ったのはあとからだった。アジにも挑戦した。ぜいごをとって、おなかも出せた。三枚おろしにしたが、途中で背骨の反対側に突き抜けたり、どう考えても骨のほうにたっぷり肉がついていて、刺身の予定が「たたき」になったりもした。

いわしなんぞは、子どもにぜひ捌かせたい魚だ。包丁を使わず、手開きができる。自分の指で、魚の構造を理解し、結構簡単に捌ける。私は、バケツ一杯500円などという、いわし=足が速くて丸干しなどしかできない→輸送の進歩で刺身もいけるくらいのものが出始めたが、まだまだ価格は激安 という時代に幸運にも遭遇。試行錯誤をしながら、「自分で捌いた魚は安くてうまい!」という結論に達したのである。

という私は、同世代のママさんの中では少数派。つまり、今の子どもたちの多くは、お母さん、あるいはお父さんが魚を捌いて料理するところを知らず、ヘタをすると「魚キライだから」という親にあたれば、家で魚を食べることさえない子までいそうである。

だからこそ、の調理実習だ。

もはや家庭でできないことこそ、学校で教える機会を与えないだろうか。子どもたちがいろいろな食材、調理に触れる機会になる。得意げにほほほ、私は魚が捌けますのよ、とこんなブログを書く私だが、「生さんまはわたが一番美味!塩焼きが最上!」という人間なので良く考えればさんまの三枚おろし、かばやきなどというものは2,3回しかやってないとおもう。

どの家庭料理にも偏りはある。「こんな世界もある」ということを子どもたちに知らせ、世界を広げるのには、やはり学校の調理実習や給食が大切だと思う。

「でも、2時間で、下ごしらえと、後片付けと、試食もするし。ほかにポテトサラダも作るから……」

娘は言うが、私の子供の頃だって、そのくらいの時間で2、3品作って食べて片付けていた。ていうか、通常そのくらいの時間で調理しないと食事なんてやっていられないだろう。まずジャガイモを剥いてゆで、その間に他の野菜を切るなどする。さんまをおろし、調味料を合わせて焼き始め、じゃがいもをつぶしてポテトサラダを仕上げたら、味噌汁も作っとく。できる主婦なら、そこにおひたしや酢の物、浅漬けなども軽く作ってしまうだろう。

そういう手順を考えることを教えないと、きっと「料理は面倒。買ってくればいいや」になってしまう。

これは、料理だけの問題ではないのではないか。また引き合いに出して申し訳ないが、うちの、優秀な成績で大学を卒業した新人クンは、複数の仕事を効率的にこなすことがまったくできない。ついでに洗い物や料理などもう!完全に別世界のことと思っている。おかげで会社で「ありえない」と言われているが、こういう子どもたちがこれからどんどん出そうで怖い。

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2007年6月28日 (木)

渇水です~子どもに不自由を教えましょう~

今年は渇水である。雨はそれなりに降っていて、それどころか今月、近所では水害さえ起きたけれどダムの貯水量にはまだまだ貢献することなく暑くつらい夏になりそうである。

私も何度か渇水で節水する夏を越したけれど、20年くらい昔、やはり苦しい渇水があったと記憶している。

ダムは干上がり、田んぼは乾き、川には魚が苦しそうにうめいていた。庭への散水も控えよう、噴水やプールも中止という夏。だれもが我慢を強いられた。

そこへ、こんな投書が新聞に載った。

「渇水のツケを子どもたちに背負わせるのは間違っている。子どもたちのプールを再開して」という母親の声だった。

私は呆れた。背負わせるも何も、ないものはないんだから仕方がないではないか。長年丹精こめた植木や盆栽が枯れそうな人もいる。農業関係者はすべからく苦しい。田んぼに水を張れず、その年1年の収入を失い、人生を狂わせる人もいる。果樹などは、もしも木が枯れでもしたら、1年どころかどれだけの負債を抱えることになるのだろう。人も死活問題だが、川や田んぼでは本当に死の危険に晒された生き物がたくさんいたのである。

未来が無くなる人や生き物がいるのに、未来ある子どもたちには一年くらいプールを我慢させても良いではないか。いや、この機会に我慢させるべきである。お天道様のご機嫌には逆らえないものだと。こういうときには我慢し、助け合い、解決するものだと。

どうにも水がないと困る人を優先し、楽しみは後回しでよいと、なぜ教えないのか。楽しみにしていたプールを奪われ、あれも我慢、これも我慢と強いられた子どもたちは、それを機にどれだけのことを考えるかわからない。

これまで何不自由なく使えていた水は、一体どこから来ていたのだろうか?

水が無いって、本当はどういうことだろうか?

なぜ水不足がおきるのだろうか?

気候や都市の構造、歴史などに興味を持つ良い機会だ。「こんな夏はごめんだ」と思えば、そうならないような国を作ろう、環境を守ろうという意識も高まるだろう。

しかし、世論はその声を尤もだと受け入れた。子どもに我慢させるな、公立学校でプールを再開せよ…かくて学校のプールには子どもたちの笑顔が戻ったのだ……

学校などに難癖をつける「モンスターペアレント」なる親が急増しているという。「子どもがかわいそう」の大義名分の下、どんな無理難題も通そうとする親だ。権利意識ばかりが肥大し、子どもに我慢を教えず暴れまわるという。そんな親に蝶よ花よと育てられた子どもが、果たしてこれからの日本を担う人物に育つのかどうか。

私はあの「プール」親が、モンスターたちの元祖的存在に思える。そしてあの頃プールで笑顔を取り戻した子どもたち世代が、たしかそのあといろいろヤバかったのだ。

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2007年6月18日 (月)

信号を過信してはいけません~最近のドライバーって

今日、青信号をわたろうとして、命の危険を感じた。

そこは、押しボタン式信号だ。子どもやお年寄りが通るときによく利用される。車が少ないときには私もボタンを押さずに「自己責任で」(そのほうがかえって迷惑じゃないから)と赤信号でわたってしまうこともある、小さな信号なのだが、今日は誰かがボタンを押したらしく青信号。左手からの車は、皆止まってくれていた。

ラッキー。

このところ残業続き、今日は何とかスーパーに飛び込みたい。で、安心してわたろうとして、右手から凄い勢いで来る物体に気づいて止まり、引き返した。

八王子ナンバー、3桁。ドライバーは女性。このくらいにとどめるが、まったく信号も見ず、反対車線の車が列を成して止まり、さらに自転車の私が青信号で渡ろうとしているのにもまーーーーーったく目に入らない状態で突っ走っていった。私が止まらなければ、大変なことになっていた……

  _, ._
(;゚ Д゚)

と、思いっきり非難の顔で見送ってあげたが、こういう人に限って、全然周りの空気なんか読めないものである。……いつか、何かやっちゃいそうだな…

信号を見もしないドライバーは、彼女に限らず大勢いる。子どもが幼稚園に通っていたとき、それはもう、毎日のように見た。幼稚園前の交差点は鄙には珍しくスクランブル交差点だったのだけど、まあ、「歩行者オンリー」の信号をまったく無視して突っ走る車の多いことと言ったら。

トラック関係は、ほぼ信号を見ていない。まあ、何か事故を起こしても自分は死ぬことがめったに無いからだろう。幼児やお年寄りが歩くその道を、前が赤信号のままにも関わらず垂直の道が赤信号になっただけで平気で猛スピード発進する。

普通車でもこんなことがあった。女性ドライバーが赤信号にも関わらず突っ込んできた。歩行者の年配女性が「ちょっと!赤信号が見えないの!危ないでしょ!」と車を止め、ドライバーに怒鳴りつけた。ドライバー女性は「ハァ?何言ってんのこのババア」くらいの顔。歩行者は「だから、今は赤信号なの!歩行者だけなの!信号見なさいよ!」と猛り狂ったが、ドライバーはまるでやあねえ、変な人に絡まれちゃったわ~という表情で、赤信号を平気で横切っていった。「このバカ!」と歩行者女性は怒鳴った。

……なんかもう…

自動車は便利だが、走る凶器でもある。私が高校くらいの頃は、今ならグロ画像というような痛ましい映画を無理やり見せられたものだが、今はそういうことをしていないのだろうか。

そしてこのような悪質ドライバーの情報と、痛ましい事故を受けて、最近近所のあちこちに「信号」が作られている。これもなんだか。交通量の多い道からすぐ入ったところに信号を設けて、かえって危なくないかと。どうせ信号も見ていない輩が、こんなところに信号があったところで止まるものか。青信号で渡りましょう、と単純に渡る子が危ない。

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2007年6月10日 (日)

娘も不登校に?~中学運動部の闇いろいろ~

うちの元気娘が「熱を出した」という。慌てて学校に電話をし、私が持っている保険証を通勤前に実家に持っていくことにした。あわただしく準備をしていると、学校から電話。担任の先生から「どんな様子ですか?」とのことだが、別居しているので「すみません、私も先ほど電話を受けたばかりで…」としか言いようがなかった。聞くと、クラスで同じように発熱や下痢などを訴えて休む子が多いという。すわ、伝染病????

結論から言うと、少なくとも娘はストレスなどからくる「休みたい病」だった。

ずっと皆勤賞をとってきた娘である。不登校のお兄ちゃんをさんざんののしってきた娘である。「うちの子に限って」という言葉、本当にどこの誰にでも通用する言葉だ。

小学校のときと違いなかなか自分についてこない級友。お店で鬼ごっこをすることを強要する部活。中学って、誰だっていろいろあるが、娘はこれまで明るく友達も多く、先生方の評価も高くて、何もかも自分の思い通りにいくような生き方をしてきた。「傲慢になるな」とは、私もおにいちゃんも言ってきたことだが、ようやく「壁」にぶち当たったか。

最近、私もなるべく娘とは話をするよう心がけてきたが、「クラスは、私以外は仲がいい」という。また、運動部では先輩にシメられたらしい。だがまったくひるまず「お店で鬼ごっこをするなんて、迷惑行為以外のなんでもないと思いますけど?」とつっかかったそうだ。先輩方は「いい度胸してるわね」「はぁ?これは部の伝統じゃないの!」と呆れたそうだが……

まあ、彼女がどう戦うか、ちょっと見ものだ。

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